令制の八省の一つ。職員は,卿,大・少輔各1人,大丞1人・少丞2人,大録1人・少録2人,史生10人,省掌2人など。所属官司は,大膳職,大炊(おおい)寮,内膳司,造酒司,園池司,主水(もひとり)司,筥陶(はこすえ)司,主殿(とのも)寮,主油司,内掃部(うちのかにもり)司,正親(おおきみ)司,官奴司,采女(うねめ)司,典薬寮,内染司,木工(もく)寮,鍛冶司,土工司の1職4寮13司である。養老令での職掌は大膳職収納の調雑物,大炊寮収納の舂米(しようまい)の出納,供御(くご)稲粟等のための官田の経営,供御の食料生産と食膳や諸国から天皇へ貢進される珍味(贄(にえ)など)の食料の奏宣とするが,その前の大宝令では女丁の諸官司への分配も定められていた。また,贄の検納(内膳司や贄殿に収納),内親王と妃・夫人・嬪の家令(かれい)の考文の作成と式部省への送付などの職務もあった。《日本書紀》天武9年(680)に宮内卿・宮内官大夫の官職が見え,朱鳥1年(686)天武天皇の葬送に〈宮内事〉を誄(しのびごと)したとあり,天武朝には前身官司が形成され,大宝令に至り宮内省が成立したことがわかる。曹司は,平城宮ではいわゆる第2次内裏の東外郭南半部に推定される。平安宮では郁芳門に通じる道の北側で西は太政官,東は大炊寮に挟まれた地にあり,曹司の西北すみには,平安遷都の際に遷座させられなかった園神・韓神が鎮座している。《江家次第》(1111成立)には〈近代は彼の省に一屋も無し〉とあり衰退がうかがわれる。和訓は《和名抄》に〈みやのうちのつかさ〉とある。宮内省のような天皇への供奉官司を八省に列したところに日本の古代国家における天皇家の家産経済の重要性があらわれている。
執筆者:石上 英一
皇室関係の事務をつかさどる官庁。1869年(明治2)の官制で大宝令に準拠し,太政官制の一省として設置された。85年の太政官制の廃止,内閣制の創設で,宮内卿に代わって宮内大臣がおかれたが,宮中・府中の別の原則によって,宮内大臣は内閣に属さない,とされた。また,宮中には内大臣,宮中顧問官などがおかれた。86年の宮内省官制では2課5職6寮4局とされたが,その後89年にも改正がなされ,1907年には皇室令によって宮内省官制が制定され,以後たびたび官制の変更があった。親任の宮内大臣の権限は,官制改革でしだいに拡大されたが,皇室のいっさいの事務について輔弼(ほひつ)の責に任じ,所属職員の統督,華族および朝鮮貴族の監督,皇室令の制定・改廃・施行,省令の制定,さらに主管事務に関しては警視総監および地方長官への指令・訓令権,あるいは職員の任免黜陟(ちゆつちよく),華族・朝鮮貴族・職員の叙位叙勲などがそのおもな権限であった。敗戦後,宮内省は廃止され,47年宮内府となり,49年宮内庁となった。歴代の宮内大臣は,伊藤博文(兼任),土方久元,田中光顕,岩倉具定,渡辺千秋(以上明治期),波多野敬直,中村雄次郎,牧野伸顕,一木喜徳郎(以上大正期),湯浅倉平,松平恒雄,石渡荘太郎(以上昭和期)である。
→宮内庁
執筆者:田中 彰
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(1)古代官制における八省の一つ。太政官(だいじょうかん)右弁官に属し、令制(りょうせい)下では1職(しき)、4寮、13司を管し、宮内卿(きょう)以下が宮廷庶務のいっさいをつかさどった。
(2)近代では皇室事務の所管官庁。1869年(明治2)古代大宝令に準拠した太政官(だじょうかん)制により新設。長官は宮内卿。73年庶務、出納、内膳(ないぜん)、内匠、調度、御厩の6分課が定められた。85年内閣制度実施により、宮中と行政各官庁との区別がなされ、翌年の改革で、大臣官房以下、5職、6寮、4局が置かれた。89年に官制がより整備拡充され、大臣官房ほか、侍従、式部、皇太后宮、皇后宮、大膳の5職、内蔵、主殿、図書、内匠、主馬、諸陵の6寮、御料、爵位、侍医、主猟、調度、帝室会計審査の6局が置かれた。宮内大臣の職責は皇室に関するいっさいの事務を総判し、かつ華族を監督するものとされている。1946年(昭和21)部局縮小、49年宮内庁となり総理府(現内閣府)の管轄下となった。
[佐々木克]
1「みやのうちのつかさ」とも。大宝・養老令制の官司。八省の一つ。被管の1職・4寮・13司のなかには木工(もく)寮・主殿(とのも)寮・内膳司・造酒司など,令制以前から氏族制的に天皇に奉仕していたものを再編成した官司が多く,これらを統轄して天皇への供御(くご)にあたった。なかには一般官人への饗饌(きょうせん)にあたる大膳職のようなものもある。天皇が畿内に伝統的にもっていた官田(大宝令では屯田)は宮内省の直営であった。宮内省は天皇の家産を支えるうえでは重要であったが,政治的には重視されなかったようで,被管諸司の多くも平安初期に統廃合され,規模を縮小した。
2皇室事務を管理する近代の官庁。1869年(明治2)7月太政官の一省として設置。初代宮内卿万里小路(までのこうじ)博房。85年内閣制度確立とともに宮内省を閣外におき,伊藤博文首相が宮内大臣を兼任し宮中の近代的改革を推進。86年宮内省官制制定。内事課・外事課・侍従職・式部職・図書(ずしょ)寮・主馬(しゅめ)寮・御料局(のち帝室林野局)・華族局(のち宗秩寮)などの部局をおき,皇室事務や華族の管理にあたった。第2次大戦後,大幅に整理・縮小され,1947年(昭和22)5月宮内府(のち宮内庁)に改組された。
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…また,贄の検納(内膳司や贄殿に収納),内親王と妃・夫人・嬪の家令(かれい)の考文の作成と式部省への送付などの職務もあった。《日本書紀》天武9年(680)に宮内卿・宮内官大夫の官職が見え,朱鳥1年(686)天武天皇の葬送に〈宮内事〉を誄(しのびごと)したとあり,天武朝には前身官司が形成され,大宝令に至り宮内省が成立したことがわかる。曹司は,平城宮ではいわゆる第2次内裏の東外郭南半部に推定される。…
…日本古代の律令制の官庁組織をいう語。狭義には太政官(だいじようかん),神祇官(じんぎかん)の二官と中務(なかつかさ)省,式部(しきぶ)省,治部(じぶ)省,民部(みんぶ)省,兵部(ひようぶ)省,刑部(ぎようぶ)省,大蔵(おおくら)省,宮内(くない)省の八省を指すが,広義には,この二官・八省に統轄される八省被管の職・寮・司や弾正台(だんじようだい),衛府(えふ)などの中央官庁および大宰府(だざいふ)や諸国などの地方官庁を含む律令制の全官庁組織の総体をいい,ふつうは後者の意味で用いる。このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。…
※「宮内省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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