孝明(こうめい)天皇女御(にょうご)。名は夙子(あさこ)。初め基君(のりきみ)。九条尚忠(ひさただ)の六女。天保(てんぽう)5年12月13日生まれ。1845年(弘化2)皇太子統仁(おさひと)親王(後の孝明天皇)の御息所(みやすどころ)に内定、その年、親王との年齢差「中四つ」を嫌って、1年早い天保4年を公式の生年とした。天皇即位後の1848年(嘉永1)12月に入内(じゅだい)、女御宣下(せんげ)を受けた。1860年(万延1)7月、祐宮(さちのみや)(後の明治天皇)の立太子のとき、嫡母(ちゃくぼ)とされたが、祐宮の実母は中山慶子(よしこ)である。1866年(慶応2)12月孝明天皇と死別、1868年3月皇太后の宣下を受ける。1872年(明治5)東京に移り、青山御所にあって、宮中で殖産の一つとしての養蚕を率先して行った。明治30年1月11日死去。英照皇太后は死後の追号で、墓所は孝明天皇陵に近い京都泉涌(せんにゅう)寺の後月輪東北(のちのつきのわのひがしきた)陵。
[河内八郎]
(上野秀治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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