内閣官制にいう行政各部のひとつで,陸軍の軍事行政を管掌する機関。長官・次官は1885年の内閣制度成立前は陸軍卿・陸軍大輔,内閣制下では身分としてはともに文官である国務大臣の陸軍大臣および陸軍次官(1900-03年は総務長官)。1872年(明治5)に兵部省を陸軍省,海軍省に分離して成立し,1945年11月に第一復員省に改組され消滅した。陸軍省設置当時は陸軍に関する総合官衙であったが,1874年に参謀局を設置して外局とし,78年に参謀本部を独立させ,軍政機関=陸軍省,軍令機関=参謀本部の並立となった。87年に陸軍の教育管掌機関が天皇直隷の監軍部として分離され,88年に教育総監部となって陸軍省の外局となったが,1900年に天皇直隷機関となり,以後陸軍の消滅まで中央3官衙の分立がつづいた。38年に新設された陸軍航空総監部は天皇直隷機関であったが,管掌業務の分野ごとにそれぞれ3長官の区処を受け,人事面は陸軍省外局である航空本部を重視していた。陸軍省の外局に当たる官衙は1945年当時で,陸軍兵器行政本部,陸軍技術研究所,陸軍造兵厰,陸軍兵器補給厰,陸軍機甲本部,陸軍航空本部,陸軍気象部,陸軍築城部,陸軍運輸部などであった。
陸軍省設置当時,卿欠員のもとで陸軍大輔山県有朋は文官であったが,武官職である近衛都督を兼ねたとき陸軍中将に任じ,山県が陸軍卿となったときも武官の身分のままであり,以後文官職である陸軍卿・陸軍大臣に武官身分が就任する慣行が生じ,1900年第2次山県有朋内閣は軍部大臣の任用資格を現役大・中将に限るという軍部大臣現役武官制を制定した。内閣官制で軍部大臣は軍機軍令に関しては内閣総理大臣を経由せずに直接に天皇に上奏する権限(帷幄(いあく)上奏権)が与えられていたので,12年上原勇作陸軍大臣はこの権限を利用して天皇に直接辞表を提出し,後任の陸軍大臣を得られなかった第2次西園寺公望内閣を倒した。これにより第1次山本権兵衛内閣は現役の制限を廃したが慣行として大臣現役武官は維持され,36年の二・二六事件後に広田弘毅内閣のもとで現役制は復活され,翌年陸軍はこれを武器として宇垣一成内閣の成立を阻止した。
省内の機構は何度も改組ののち,1903年には大臣官房,人事局,軍務局,経理局,医務局,法務局の機構となり,1908年兵器局,26年に国家総動員担当の整備局が新設された。軍務局軍事課は陸軍の政策立案を担当し,軍務局長,軍事課長,同高級課員は大臣の政務幕僚として陸軍の政治的中枢をかたちづくったが,二・二六事件後に陸軍部外政務専任の軍務課と編制・予算担当の軍事課に分離し,部内行政担当の各課は新設の兵務局に移され,軍務局は軍務・軍事の2課制をとる政策起案局となり,しばしば事実上の国策決定機関として機能した。42年に兵器局(兵器行政本部に移行),45年4月整備局は軍務局戦備課となった。
→参謀本部
執筆者:大江 志乃夫
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旧日本陸軍の軍政を管轄する機関で、初めは太政官(だじょうかん)のちに内閣の一省。1872年(明治5)2月兵部(ひょうぶ)省が廃止され、兵部省陸軍部がそのまま陸軍省となった。翌1873年3月陸軍省職制ならびに陸軍省条例が制定され、翌4月から実施された。陸軍省の長は陸軍卿(きょう)で、それを補佐するものに、大輔(たいふ)、少輔(しょうゆう)、大丞(だいじょう)、少丞(しょうじょう)があった。1873年の職制では陸軍省の機構は、卿官房、陸軍部時代の秘史局を受け継いだ第一局、軍務局を継いだ第二局、砲兵局を継いだ第三局、築造兵局を継いだ第四局、会計局を継いだ第五局、外局であった参謀局を継いだ第六局からなっていた。そのほかに北海道兵備を任務とする第七局が設けられることになっていたが、実際には置かれなかった。1874年2月第六局が廃止され、陸軍省の外局として参謀局が設置され、これがさらに1878年12月参謀本部となり、陸軍省から独立した天皇直属の軍令専掌機関となった。1879年10月陸軍職制が制定され、陸軍省条例が改正された。これにより陸軍省の機構は総務局、人員局、砲兵局、工兵局、会計局の5局となり、1885年3月には新たに輜重(しちょう)局が加わった。1886年2月内閣制度発足とともに陸軍省官制が定められ、大臣、次官のもとに大臣官房、総務、騎兵、砲兵、工兵、会計、医務の各局が置かれた。1888年11月法官部が加わり、1890年3月には総務、騎兵、砲兵、工兵の4局が軍務局に統合された。1900年(明治33)5月、陸軍省官制の改正で、総務、人事、軍務、経理、医務、法務の六局制となった。またこの官制で陸軍大臣の補任資格を現役の大・中将に限ることとなり、軍部大臣現役武官制が確立した。その後1908年兵器局、1926年(大正15)整備局、1936年(昭和11)兵務局が新設され、1942年兵器局、1945年4月整備局が廃止された。大臣の補任資格は1913年の改正で現役を削除したが、1936年ふたたび現役制を復活した。軍部大臣現役武官制は統帥権の独立とともに軍部の政治的地位を強化する武器となった。戦争の拡大とともに陸軍省の政府部内における発言権は大きくなり、政務を扱う軍務局は、内閣の中枢を占めるまでになった。敗戦直前の1945年4月、軍務局と参謀本部第四部の職を合体する省部一体制がとられ、本土決戦に備えた。敗戦により1945年(昭和20)11月30日陸軍省は廃止され、残務処理のための業務を、陸軍省を縮小した第一復員省に引き継いだ。
[藤原 彰]
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明治初期から第2次大戦の敗戦まで陸軍の軍政を統轄した中央官庁。1871年(明治4)7月,兵部省陸軍部設置。72年2月,兵部省の廃止により陸軍省・海軍省が分離して設置された。はじめは太政官の一省で,初代陸軍卿は山県有朋(やまがたありとも)。78年外局だった参謀局が参謀本部として独立。85年内閣制度制定により内閣の一省となる。初代陸軍大臣は大山巌(いわお)。翌年陸軍省官制を制定し,大臣官房および総務・騎兵・砲兵・工兵・会計・医務の6局をおく。90年総務・騎兵・砲兵・工兵の各局を統合して軍務局を設置。翌年会計局を経理局と改称。1900年大臣・次官(総務長官)の現役武官制を確立。その規定は13年(大正2)に削除されたが,36年(昭和11)復活。陸軍の軍政を統轄して政治的にも発言力をもった。45年11月に廃止され,第一復員省となった。
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