帯川関跡(読み)おびかわのせきあと

日本歴史地名大系 「帯川関跡」の解説

帯川関跡
おびかわのせきあと

[現在地名]阿南町和合 帯川

遠州往還押えの関所。帯川集落のほぼ中央の井戸沢いどさわを渡り、新野にいのへ行く急坂に沿った小平地に位置する。現在は畑であり、明治時代には分教場が置かれた。小平地の南端小祠と桜の古木がある。

慶長六年(一六〇一)知久則直が三千石の旗本として阿島あじま(現喬木たかぎ村)に封ぜられると同時に、幕府より波合なみあい(現浪合村)・帯川・心川こころがわ小野川おのがわ(現阿智村)四関所の守衛を命ぜられ、以来、明治初頭まで二六〇余年支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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