幡寺山村(読み)はたじやまむら

日本歴史地名大系 「幡寺山村」の解説

幡寺山村
はたじやまむら

[現在地名]赤坂町山口やまぐち

すな川の上流斗有とあり(現山陽町)の西の山腹に位置する。戦国期には幡降山普門ふもん院の寺領があり、江戸時代になって同院と寺中の光明こうみよう院・泉蔵せんぞう院・千手せんじゆ院の四院だけで成立した村。慶長一〇年(一六〇五)の備前国高物成帳(備陽記)葛木かつらぎ庄に幡寺とある。「東備郡村志」では鳥取ととり庄に幡寺山が載る。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高五〇石余。貞享元年の荒などを引いた残高は四九石余。寛永備前国絵図には畑寺とみえ、高四五石余。「備前記」に古くは「幡村」と唱えたとある。

享保六年(一七二一)には田畠二町一反余、家数四(寺)・人数は男三、池一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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