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1165-1188 平安後期-鎌倉時代の女性。
永万元年生まれ。駿河(するが)(静岡県)手越(てごし)の長者の娘。源頼朝の妻北条政子の侍女。一ノ谷の戦いで捕らえられ,鎌倉におくられた平重衡(しげひら)の身のまわりの世話をし,琴,琵琶を奏してなぐさめた。重衡の処刑後,病になったとも,善光寺にはいり尼となったともいう。文治(ぶんじ)4年4月25日死去。24歳。名は千寿ともかく。
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(1)平曲の曲名。《千寿》とも書く。《千手前(せんじゆのまえ)》とも称する。平物(ひらもの)。フシ物。源平の戦で捕虜になった平重衡(しげひら)が鎌倉へ護送されたので,頼朝が対面し,東大寺焼討ちの責任についてただす。重衡は一門の不運を嘆き,自分の処刑を急ぐよう願うが,奈良の寺院の意向も聞かねばというので許されない。重衡は狩野介宗茂(かののすけむねもち)に預けられ,手越(てごし)の宿(しゆく)の長(ちよう)の娘の千手前が世話をすることになる。
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[1] 千本の手。また、多くの手。
※わらんべ草(1660)四「狂言は、千手、千眼の、理を以てする業也と、よくしるべし」 〔千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経〕
[2]
※霊異記(810‐824)中「千手の像に向かひて、福分を願ひ」
[二] 平安末期の遊女。駿河手越(てごし)の長者の女。鎌倉に捕えられた平重衡(たいらのしげひら)の寵愛を受けた。重衡の死後、長野の善光寺にはいり出家したという。「平家物語‐一〇」の「千手の前」に登場する。永万元~文治四年(一一六五‐八八)
[三] 謡曲。三番目物。各流。喜多流では「千寿」と書き、参考曲とする。金春禅竹作。古名「千手重衡
(せんじゅしげひら)」。一谷の戦いで生け捕られた平重衡は、鎌倉に送られ狩野介宗茂
(むねもち)に預けられている。手越の長者の娘千手の前は、頼朝の命で重衡を慰めに訪れ、酒宴を催して朗詠や白拍子を歌い舞を舞う。重衡も興にのって琵琶
(びわ)をひくと、千手はそれにあわせて琴を奏する。やがて勅命によって都に送り返される重衡を千手は泣きながら見送る。
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世界大百科事典内の千手の言及
【川西[町]】より
…おもな集落は信濃川の段丘面に分布し,盆地内では最大の米作地域となり,魚沼コシヒカリの産地として知られる。中心地の千手(せんじゆ)は近世には善光寺街道の馬継場で,馬市でも知られた。絹織物で有名な十日町市,小千谷市に隣接し,縮織の出機(でばた)地域でもあった。…
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