幡生庄(読み)はたうのしよう

日本歴史地名大系 「幡生庄」の解説

幡生庄
はたうのしよう

当初は越前国江沼えぬま郡、弘仁一四年(八二三)の加賀立国以降は同国能美郡に属した奈良東大寺領庄園で、天平勝宝七年(七五五)「橘大夫人」によって同寺へ施入された(仁平三年四月二九日「東大寺諸荘園文書目録」東大寺文書)。遺称地名はなく、読みは慣例に従う。「延喜式」神名帳では能美郡八座の一に幡生神社がみえ、当庄との関連が指摘される。九条家本・武田本ではハタナリと訓じており、あるいは同様に訓じたか。また同社は現小松市吉竹よしたけ町の幡生はたさや神社にあてられることから、当庄の庄域は従来、同町一帯に比定されていた。しかし昭和五七年(一九八二)から始まった辰口たつのくち町の辰口西部遺跡群の発掘調査で、古代の掘立柱建物跡を五〇棟以上検出、ほかに多量の須恵器食膳具で給食を行うような準庄家級建物をはじめ一般民家級建物、倉・畑・溝などの遺構が明らかにされ、当庄との関連が指摘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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