能美郡
のみぐん
面積:九八・六一平方キロ
根上町・寺井町・川北町・辰口町
近世末までの能美郡は加賀国南西部の北東半を占め、北・東は石川郡、南は越前国、南西は江沼郡に接し、北西は日本海に面していた。かつての石川郡との北の郡界は、おおむね手取川であったと考えられる。しかし、同川本流は時代によって変遷、これに伴って郡域も変化したと思われる。また石川郡との東の郡界は現在の鳥越村付近までは手取川本流を境としたが、近世には越前国に属し、白山麓十八ヶ村に含まれた現白峰村・尾口村一帯では本流西方、ほぼ現在のそれと一致する鷲走ヶ岳―小豆峠を結ぶ山並を郡界としたとも考えられる。東部から南部にかけては石川郡との郡界をなす山嶺や、南端の大日山(一三六八メートル)から北に延びる標高一〇〇〇メートル級の山々が連なり、海に面する北部は低湿な沖積低地や砂丘地、西部は加賀三湖(今江潟・柴山潟と現在は干拓により消滅した木場潟)を取囲む平地および低丘陵地で、この間を北東―南西に標高一〇〇―二〇〇メートル前後のなだらかな能美丘陵が占めている。郡域中央部を梯川が北流する。
古代の律令制下において当初は越前国に属した。弘仁一四年(八二三)三月一日、越前国江沼・加賀二郡を割いて加賀国が成立、次いで同年六月四日、江沼郡(一三郷四駅)北半の「五郷二駅」を分けて当郡が成立した。郡名の初見もこの分郡について記す「日本紀略」同日条で、「延喜式」民部省ではノミと訓じ、乃美とも記された(白山之記)。以下の記述は現在の鳥越村、美川町・松任市の南端、および小松市の大部分を含んだかつての能美郡域を対象とする。
〔原始・古代〕
更新世後期に属する旧石器時代の遺跡は、能美丘陵に分布し、ナイフ形石器や掻器・尖頭器を出土した辰口町灯台笹遺跡が著名で、他に同町湯屋のマシジ山からも旧石器が採集されている。縄文時代遺跡は、前期の段階で加賀三湖周辺に分布し、加賀市に含まれる柴山潟水底遺跡・小松市大谷貝塚が知られる。また中期以降の集落遺跡としては、小松市山崎大杉谷遺跡や念仏林遺跡、辰口町莇生・長滝・岩内・火釜・旭台遺跡など主として能美丘陵に濃い分布を示す。弥生時代の集落遺跡は梯川下流域に多く、小松市八日市地方遺跡や梯川鉄橋遺跡が代表的である。古墳時代には寺井町和田山・末寺山・秋常山、辰口町西山の独立丘陵を中心とした能美古墳群(国指定史跡)が形成されるが、秋常山一号墳は一四〇メートルに達する前方後円墳として重要である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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