幡生村(読み)はたぶむら

日本歴史地名大系 「幡生村」の解説

幡生村
はたぶむら

[現在地名]下関市宝町(たからまち)・幡生(はたぶ)町二丁目・生野(いくの)町一―二丁目・山の田東町(やまのたひがしまち)・山の田中央(やまのたちゆうおう)町の各全域、および幡生町一丁目・後田(うしろだ)町四―五丁目・幡生本町(はたぶほんまち)・幡生宮の下(はたぶみやのした)町・武久(たけひさ)町一丁目・山の田南町(やまのたみなみまち)・山の田本町(やまのたほんまち)・大学(だいがく)町一―二丁目の各一部

現下関市の南西部にあたり、大鳥越(おおとりごえ)山の南西側に広がる小村。西は武久、北は稗田(ひえだ)・熊野(くまの)、東は椋野(むくの)、南は後田(うしろだ)の各村に接する。長府藩領で東豊浦郡前支配に属する。

慶長一五年(一六一〇)の検地帳に「幡生村」とあり、武久村と合石で記載される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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