平久大窪村(読み)ひらくおおくぼむら

日本歴史地名大系 「平久大窪村」の解説

平久大窪村
ひらくおおくぼむら

[現在地名]阿南町南条みなみじよう 平久大窪

和知野わちの川左岸に位置する。北は深見ふかみ村・小野おの村、東は天竜川を挟んで対岸我科がしな村(現泰阜やすおか村)、南は和知野川を挟んで長沼松島ながぬままつしま(現天龍村)、西は和知野村早稲田わせだ村に接する。

天文一〇年(一五四一)関氏の所領となり、同一三年下条領、天正一五年(一五八七)飯田城代菅沼氏預り所、同一九年京極氏知行所、慶長六年(一六〇一)小笠原氏預り所、元和三年(一六一七)脇坂領、天和元年(一六八一)美濃高須藩松平氏の飛領地となる(長野県町村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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