… このようにして形成された民族集団が漢民族と称されるようになったのは,いうまでもなく,その集団のなかから統率者としての傑物が現れ,漢帝国なる王国を興し,その王国ないし王朝の支配下に包括され従属してみずから漢帝国の一員であることを認めた個々人または集団が,漢人と呼ばれ,漢民族と称されることを自他ともに容認したことによって漢民族とか漢人という名称として徐々に固定し,今日にまで受け継がれているものである。しからば漢代以前にこの種の民族集団は何と呼ばれていたかといえば,彼らは秦の始皇帝により統治されたため秦人と称され,それが今日のシナすなわちChina,Chineの名称として,いまなおその名がとどめられている。このように,時代をさかのぼってみれば夏・殷・周各王朝ごとに,その住民はそれぞれその王朝名で夏人または殷人などの名で呼ばれ,今日漢人たちがみずからを夏人と称するのも,夏の初代の天子禹が夏后氏すなわち夏の后(きみ)と呼ばれているように,これまた夏王朝名の名残りなのである。…
※「しな」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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