朝日日本歴史人物事典 「平山季重」の解説
平山季重
平安後期・鎌倉前期の武士。本姓は日奉氏で武蔵七党の西党に属す。父は直季。武蔵国多西郡船木田荘平山郷(日野市平山)を本領とし,院の武者所に祗候して平山武者所と称した。保元・平治の乱の際,源義朝に属す。治承4(1180)年源頼朝の挙兵に従い,佐竹討伐ではまっ先に敵城に登り,宇治川合戦で橋桁の先陣,一ノ谷合戦で先陣の武功をあげたが,文治1(1185)年頼朝の許可なく右衛門尉に任官したため関東への下向をとどめられた。同5年,奥州合戦に従軍。建久3(1192)年実朝誕生のときには鳴弦役を務め,同6年の頼朝の上洛に供奉している。頼朝は彼の容貌を「顔ハフワフワトシテ」と評している。<参考文献>安田元久『武蔵の武士団』
(野口実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報