平山郷(読み)ひらやまごう

日本歴史地名大系 「平山郷」の解説

平山郷
ひらやまごう

あさ川流域の現日野市平山・東平山・西平山一帯に比定される中世の郷。船木田ふなきた庄のうち。浅川流域は平安時代後期には日奉一族が進出、当郷には平山氏が勢力を扶植していたと考えられる。保元の乱では源義朝に武蔵国西党の平山氏が従っていたとされる(保元物語)。また平治の乱でも源義朝軍のなかに平山武者所季重がいたという(平治物語)。「吾妻鏡」によると、治承四年(一一八〇)一一月四日、平山武者所季重が源頼朝に従って常陸の佐竹氏討伐に加わり、同月七日頼朝から軍功を賞されている。寿永三年(一一八四)二月五日には平山季重・同古太郎(小太郎)為重が源義経に属して一ノ谷合戦に従軍、同月七日季重は熊谷直実と先陣を争っている。源頼朝上洛時の建久元年(一一九〇)一一月七日、平山小太郎(為重)は先陣七番随兵であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報