朝日日本歴史人物事典 「平岡次郎右衛門」の解説
平岡次郎右衛門
生年:天正12(1584)
江戸初期,甲斐国の代官触頭。名は和由,武田旧臣平岡良知の長男。元和3(1617)年家督を継ぎ,代官職を世襲し甲府拝領屋敷で地域行政に当たった。8年に甲斐一国を管轄する代官触頭となる。寛永14(1637)年には甲斐国釜無川左岸に用水路を開削し富竹新田(山梨県竜王町)次いで,貢川左岸の金竹新田(甲府市),名取新田(竜王町)も開発した。開発地では村民が次郎右衛門を水神として祭っているところもある。長男勘三郎は代官触頭を継ぎ,新田移住者を保護するなど,父子2代の事績が高く評価された。墓は甲府市岩窪町の円光院。<参考文献>『甲府市史』通史編2巻
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報