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1533~84
オラニエ公としてオランダ独立戦争の初期の最高指導者の一人となった。沈黙公ともいう。ドイツのナッソウ伯家に生まれ,スペイン国王フェリペ2世のもとでホラントなど3州の総督を務めたが,スペインの専制支配に反対して抵抗。一時亡命したが,帰国してヘーゼンの活躍するなかで指導的役割を演じた。全ネーデルラントの結束を図ったにもかかわらず,南北間の溝は埋まらず,不評を買い,デルフトで暗殺された。以後,彼のオラニエ家は実質的にオランダ君主の家系となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ベルギーのヘント大学で政治,外交史などを講じたが,30年ベルギー独立により同大学を退き,翌年ライデン大学法学部教授となる。30年代末に保守主義者からしだいに急進的自由主義者へと変貌し,39年《憲法論》を発表してオランダ国王ウィレム1世の専制的統治を批判し,憲法改正を訴えた。44年下院議員となり,同志とともに憲法改正案を議会に提出したが否決される。…
…在位1689‐1702年。ウィレム3世とも呼ばれる。オランダのオラニエ=ナッサウ家に総督ウィレム2世の子として生まれる。…
…16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。次男のウィレム(ウィルヘルム)はライン右岸領すなわちナッサウ家伝来の領土を得た。ウィレムの子ウィレム1世(1533‐84)は父の領土を相続し,1544年伯父ヘンドリック3世の子ルネが没すると,ナッサウ家に伝わる全領土を継承してオラニエ=ナッサウ公家の創設者となった。…
…〈海乞食〉(乞食団)の蜂起による反乱側のホラント,ゼーラント両州占拠(1572)を経て,ネーデルラント北部の7州は,1579年ユトレヒト同盟を結成し,81年スペイン人に対する独立を宣言した。反乱の指導者オラニエ公ウィレム1世が84年暗殺されると,オルデンバルネフェルトが共和国の政治を指導し,オラニエ公の遺子マウリッツを指揮官にスペイン軍と戦い,1609年にはスペインと12年間の休戦条約を結んで実質的な独立を達成した。オランダ共和国(正式にはネーデルラント連邦共和国)は独立の達成とともに,ヨーロッパで最も富裕な商業国家になった。…
… ネーデルラント住民はフェリペがスペイン流の異端審問所をこの地方に導入することを恐れ,伝統的に享受してきた自治の特権が侵犯されることを警戒した。ことにこの地方で大勢力を張ってきたオラニエ公ウィレム1世,エフモント公ら大貴族は,統治の中枢から排除されることを恐れ,政庁に公然と反抗を開始した。66年,数百名の中小貴族がブリュッセルに集まって盟約を結び,執政パルマ公妃マルガレータに面会して新教禁止の緩和を訴え,乞食団を結成した。…
…16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。次男のウィレム(ウィルヘルム)はライン右岸領すなわちナッサウ家伝来の領土を得た。ウィレムの子ウィレム1世(1533‐84)は父の領土を相続し,1544年伯父ヘンドリック3世の子ルネが没すると,ナッサウ家に伝わる全領土を継承してオラニエ=ナッサウ公家の創設者となった。…
…16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。次男のウィレム(ウィルヘルム)はライン右岸領すなわちナッサウ家伝来の領土を得た。ウィレムの子ウィレム1世(1533‐84)は父の領土を相続し,1544年伯父ヘンドリック3世の子ルネが没すると,ナッサウ家に伝わる全領土を継承してオラニエ=ナッサウ公家の創設者となった。…
…16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。次男のウィレム(ウィルヘルム)はライン右岸領すなわちナッサウ家伝来の領土を得た。ウィレムの子ウィレム1世(1533‐84)は父の領土を相続し,1544年伯父ヘンドリック3世の子ルネが没すると,ナッサウ家に伝わる全領土を継承してオラニエ=ナッサウ公家の創設者となった。…
…早くから毛織物工業が栄えて市民階級が台頭し,フランス文化の影響をじかに受けていたフランドルを中心とする南部に,ディーツDiets語と呼ぶ中世オランダ語の聖者伝や騎士道物語,教訓詩,宗教詩などが相次いで現れた。また,ウィレムという詩人がフランス語の《狐の裁判》を種本として,当時の封建社会を風刺,活写した動物物語詩の傑作《狐のレーナルデ》(1250ころ)を書き,市民文学の手本としてヨーロッパの諸国語に翻訳された。次いで14世紀の中ごろ,ブラバントの修道僧リュースブルックJohannes van Ruusbroec(1293‐1381)が神秘主義的散文《霊的結婚式の装飾》を著し,トマス・ア・ケンピスをはじめ後世の神秘思想家に大きな影響を与えた。…
※「ウィレム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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