平野愛子(読み)ヒラノ アイコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「平野愛子」の解説

平野 愛子
ヒラノ アイコ


職業
歌手

本名
平野 あい

生年月日
大正8年

学歴
日本歌謡学院卒

経歴
昭和21年ビクターの新人歌手コンテストに合格、作曲家・東辰三が新人歌手養成のため作った「港が見える丘」でデビュー。この歌はNHKラジオの「素人のど自慢」で盛んに歌われて22年のヒット曲となり、一躍スター歌手となった。23年には同じ東辰三作曲の「君待てども」がヒット、ブルース調の歌手として一時代を築き、以後、テイチク、キングに移り、映画にも出演した。第一線を退いてからは自宅で音楽教室を開いた。

没年月日
昭和56年 11月22日 (1981年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「平野愛子」の解説

平野 愛子
ヒラノ アイコ

昭和期の歌手



生年
大正8(1919)年

没年
昭和56(1981)年11月22日

本名
平野 あい

学歴〔年〕
日本歌謡学院卒

経歴
昭和21年ビクターの新人歌手コンテストに合格、作曲家・東辰三が新人歌手養成のため作った「港が見える丘」でデビュー。この歌はNHKラジオの「素人のど自慢」で盛んに歌われて22年のヒット曲となり、一躍スター歌手となった。23年には同じ東辰三作曲の「君待てども」がヒット、ブルース調の歌手として一時代を築き、以後、テイチク、キングに移り、映画にも出演した。第一線を退いてからは自宅で音楽教室を開いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野愛子」の解説

平野愛子 ひらの-あいこ

1919-1981 昭和時代後期の歌手。
大正8年1月4日生まれ。昭和21年ビクターの新人歌手コンテストに合格。「港が見える丘」が翌年ヒット曲となる。23年「君待てども」もヒット,ブルース調の歌手として活躍。のちテイチク,キングにうつる。引退後は音楽教室をひらいた。昭和56年11月22日死去。62歳。日本歌謡学院卒。本名はあい。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平野愛子」の解説

平野 愛子 (ひらの あいこ)

生年月日:1919年1月4日
昭和時代の歌手
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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