広沢当昇(読み)ヒロサワ トショウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「広沢当昇」の解説

広沢 当昇
ヒロサワ トショウ


職業
浪曲師

本名
鹿谷 義治(シカタニ ヨシハル)

出身地
大阪府 大阪市

経歴
広沢瓢右衛門の実兄大正時代から看板として活躍。弟以上の悪声で「国定忠治」などで親しまれたが、昭和40年ごろから一線を退いていた。

没年月日
昭和60年 2月21日 (1985年)

家族
弟=広沢 瓢右衛門(浪曲師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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