日本歴史地名大系 「広瀬舘村」の解説 広瀬舘村ひろせたちむら 富山県:西礪波郡福光町広瀬舘村[現在地名]福光町舘小坂(こざか)村の西に位置する。医王(いおう)山への登山口にあたり、また加賀国二俣(ふたまた)村(現石川県金沢市)から当村を通り城端(じようはな)(現城端町)へ至る道(釜中越)があった(元禄一二年「覚」改作所旧記)。中世の石黒(いしぐろ)庄弘瀬(ひろせ)郷の遺称地で、村名は戦国期に加藤右衛門という人物が城館を構えたことに由来するといわれる。元和五年(一六一九)の家高新帳には「たち村」とあり、広瀬組に属し、役家数一三。寛永一一年(一六三四)の礪波郡拾弐組村名附帳(礪波町村資料)でも舘村とある。正保郷帳では広瀬舘村とあり、高七二〇石余、田方三四町九反余・畑方一三町一反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高八〇九石、免五ツ、小物成は山役八三匁(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報