広瀬郡(読み)ひろせぐん

日本歴史地名大系 「広瀬郡」の解説

広瀬郡
ひろせぐん

馬見うまみ丘陵東麓、現北葛城郡東北部の河合町・広陵町付近に存在した郡。「日本書紀」天武天皇四年四月一〇日条に「大忌神を広瀬の河曲に祭らしむ」とあり(北葛城郡の→広瀬神社、同一〇年一〇月条に「天皇、広瀬野にけみしたまはむとして、行宮構り」とある行宮を「大和志」は現広陵町大字大野おおのに求めている。和銅二年(七〇九)弘福寺田畠流記帳(円満寺文書)に「大倭国広瀬郡大豆村田弐拾町玖段弐拾壱歩」とあり、現高市郡明日香村の弘福ぐふく(川原寺)大豆まめ(北葛城郡の→馬見丘陵田畠をもっていたことがわかる。

和銅六年五月一〇日付の平城宮出土木簡には「広背郡」、天平二年(七三〇)の大倭国正税帳(正倉院文書)は「広湍郡」と書き、欠年の勘籍歴名(同文書)には「大倭国広湍郡広湍郷」がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む