広瀬神社(読み)ヒロセジンジャ

デジタル大辞泉 「広瀬神社」の意味・読み・例文・類語

ひろせ‐じんじゃ【広瀬神社】

奈良県北葛城郡河合町にある神社。旧官幣大社祭神は広瀬神(若宇迦能売命わかうかのめのみこと)ほか二神。五穀豊穣ほうじょう守護神

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精選版 日本国語大辞典 「広瀬神社」の意味・読み・例文・類語

ひろせ‐じんじゃ【広瀬神社】

  1. 奈良県北葛城郡河合町にある神社。旧官幣大社。若宇迦売命(わかうがのめのみこと)(大忌神ともいう)を主神とし、櫛玉(くしたま)命、穂雷(ほいかずち)命を配祀する。崇神天皇の時代の創祀と伝えられ、のち天武天皇が奉斎。祭神は稲を守りつかさどる神で、常に龍田風神と並び称される。

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日本歴史地名大系 「広瀬神社」の解説

広瀬神社
ひろせじんじや

[現在地名]河合町大字川合

奈良盆地を流れる河川が合流する低地に鎮座若宇賀能売わかうかのめ命を主神とし、相殿に櫛玉比売くしたまひめ命・穂雷ほのいかずち命を祀る。若宇賀能売命は食物守護の霊であり(古事記伝)、一名を大忌おおいみ神・広瀬河合ひろせかわい神ともいう。「延喜式」神名帳広瀬郡に「広瀬坐和加宇加売命神社名神大、月次新嘗」とある。旧官幣大社。崇神天皇朝の鎮座と伝える。早くから水神として農業守護の神と仰がれたと思われるが、天武天皇四年(六七五)四月一〇日、使を遣わして風神(竜田神)竜田たつた立野たつの(現奈良県三郷町)に、大忌神(広瀬神)を広瀬の河曲かわわに祀らせ、以来毎年四月・七月には両神を祀らせている。これは当時すでに両社が朝廷の宗祀として官社の取扱であったことを意味する。神祇令には孟夏に大忌神・風神を祀るとあり、大忌祭は山谷の水を変じて甘水となし、苗稼を潤してよい稲を得るための祭であった。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔神戸・神階〕

天平二年(七三〇)の大倭国正税帳(正倉院文書)によると、広湍ひろせ(広瀬)川合の神戸の租稲として二〇束が定められているが、これは山辺やまべ郡に属している。


広瀬神社
ひろせじんじや

[現在地名]中区広瀬町

広島開府の時、毛利氏によって高田郡吉田よしだ(現吉田町)より移された洞春とうしゆん寺の鎮守社として、ともに遷座した社で、厳島明神を祭神としたため広瀬弁財天とよばれた。旧村社。

享保八年(一七二三)広瀬大明神と改称(知新集)。広瀬組の町々や、空鞘そらざや町・左官さかん(ただし以上は空鞘神社と氏子が入交じる)・広瀬村などや、天満てんま町・観音かんのん村・川田かわだ(現西区)などの産土神とされた。


広瀬神社
ひろせじんじや

[現在地名]狭山市上広瀬

入間いるま川左岸、上広瀬地区南方にある。主祭神は若宇迦能売命。旧県社。大和国広瀬河合ひろせかわい(現奈良県河合町)にある広瀬神社を分祀勧請したと伝えられ、「文徳実録」嘉祥三年(八五〇)六月三日条に、官社に列するとある「武蔵国広瀬神」は当社のこととされる。「延喜式」神名帳所載の入間郡五座の一「広瀬ヒロセノ神社」に比定される。天正一〇年(一五八二)九月吉日「高麗郡広瀬之郷」大旦那から懸仏が奉納された。江戸時代には上広瀬・下広瀬二ヵ村の鎮守で、別当は新義真言宗宝蔵ほうぞう(廃絶)が勤めた。


広瀬神社
ひろせじんじや

[現在地名]小田町本川 馬場

祭神は天御中主尊・高皇産霊命・神皇産霊命。旧郷社。社記によると醍醐天皇の延長四年(九二六)の創建、後世妙見宮とよび大田郷一五ヵ村の氏神として祭祀したが、江戸時代に大洲藩の祈願所一八社の一となり、田地と蛇の目の紋章を与えられたので広瀬神社と改称したと伝えられている。

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改訂新版 世界大百科事典 「広瀬神社」の意味・わかりやすい解説

広瀬神社 (ひろせじんじゃ)

奈良県北葛城郡河合町川合に鎮座。若宇迦売(わかうかのめ)命を主祭神とし,櫛玉命,穂雷(ほのいかずち)命を配祀する。創建年代不詳。社伝では崇神天皇のとき,広瀬の川合の里長に神託があり,朝廷に奏上したことより御膳神(みけつかみ)として天皇が社殿をたて奉斎したことに始まるという。675年(天武4)天武天皇が間人連大蓋(はしひとのむらじおおふた)らを遣わして大忌(おおいみ)神を広瀬の河曲(かわわ)にまつらせたと《日本書紀》にあるのが広瀬大忌祭のはじめというが,竜田大社風神祭竜田祭)とともに律令国家の重要な豊作祈願祭として継承された。778年(宝亀9)光仁天皇が奉幣祈願,806年(大同1)神封2戸が寄せられ,859年(貞観1)正三位に叙せられる。延喜の制で名神大社,祈年・月次・新嘗の官幣にあずかり,のち二十二社の一つとなる。旧官幣大社。例祭4月4日。付近に神宮寺址がある。
広瀬祭
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「広瀬神社」の意味・わかりやすい解説

広瀬神社
ひろせじんじゃ

奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡河合(かわい)町川合に鎮座。若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、櫛玉命(くしたまのみこと)、穂雷命(ほのいかずちのみこと)を祀(まつ)る。崇神(すじん)天皇朝に大御膳神(おおみかしわでのかみ)として創祀(そうし)されたと伝え、天武(てんむ)天皇朝以後は毎年4月と7月に龍田風神祭(たつたふうじんさい)(現生駒(いこま)郡三郷(さんごう)町の龍田大社)と同じく、広瀬大忌祭(おおいみさい)を斎行することが慣例となり、「神祇令(じんぎりょう)」にも規定されている。大和(やまと)国広瀬郡の延喜(えんぎ)式内社であり、平安時代には二十二社にも加えられた。社地は地名どおりに大和川の合流点に近く、五穀豊穣(ほうじょう)を守る水神として厚く崇敬された。旧官幣大社。例祭日は4月4日。2月11日の御田植祭(おたうえまつり)は砂かけ祭とも称し、擬人化した農耕神事である。本殿は春日造(かすがづくり)で、1711年(正徳1)の造営。『河相社(かあいしゃ)縁起』1巻、『和州(わしゅう)広瀬郡広瀬大明神之図』1枚を蔵する。

[二宮正彦]

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百科事典マイペディア 「広瀬神社」の意味・わかりやすい解説

広瀬神社【ひろせじんじゃ】

奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡河合町に鎮座。旧官幣大社。祭神の若宇迦売(わかうかのめ)命は,竜田大社の祭神竜田の風神と深い縁故があり,崇神(すじん)天皇のとき,水神・穀神としてまつられた。竜田の風神とともに,風水と五穀豊穣の神として信仰される。延喜式内の名神大社で,二十二社の一つ。例祭は古くは竜田大社とともに,4月と7月の4日に行われ,大忌(おおいみ)・風神祭と称されたが,現在は4月4日だけ。ほかに御田植祭(2月12日)は砂かけ合戦を行うきわめて特色あるもの。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広瀬神社」の意味・わかりやすい解説

広瀬神社
ひろせじんじゃ

奈良県北葛城郡河合町河合に鎮座する元官幣大社。ワカウガノメノミコトを主神とし,クシタマノミコト,ホノイカズチノミコトを祀る。竜田の風神とともに,風を防ぎ穀物の成熟を司る神。例祭4月4日。

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世界大百科事典(旧版)内の広瀬神社の言及

【大忌祭】より

…律令時代の宮廷の四時祭(しじさい)の一つで,大和国広瀬神社(奈良県北葛城郡河合町)でおこなわれた神事。広瀬大忌祭ともいう。…

※「広瀬神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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