六郷(読み)リクキョウ

デジタル大辞泉 「六郷」の意味・読み・例文・類語

りく‐きょう〔‐キヤウ〕【六郷】

中国、代の行政区画の名。王城から50里ないし100里以内の地。6分し、6人の大司徒それぞれを所管した。

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精選版 日本国語大辞典 「六郷」の意味・読み・例文・類語

ろくごうロクガウ【六郷】

  1. [ 一 ] ( 六郷神社の氏子が近在六か郷に住んだところからの名という ) 東京都大田区南部の地名。多摩川下流の左岸にある。明治初期まで、対岸の川崎との間に六郷の渡があった。
    1. [初出の実例]「女の欠落六郷さして行き」(出典:雑俳・川柳評万句合‐安永五(1776)亀二)
  2. [ 二 ] 江戸、浅草象潟(台東区浅草四丁目)に江戸屋敷があった、出羽国本荘城主、六郷伊賀守をいう。また、その屋敷やその近辺。吉原遊郭への途中の屋敷として知られた。
    1. [初出の実例]「そう行と六郷さまの御門だよ」(出典:雑俳・柳多留‐八(1773))

りっ‐きょうリクキャウ【六郷】

  1. 〘 名詞 〙 中国周代の制度で、王城から五〇里ないし一〇〇里以内の地で大司徒がつかさどる行政区画。一郷は一万二五〇〇家にあたり七万五〇〇〇家をいう。〔周礼‐地官・小司徒〕

りく‐きょう‥キャウ【六郷】

  1. 〘 名詞 〙りっきょう(六郷)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六郷」の意味・わかりやすい解説

六郷(秋田県)
ろくごう

秋田県中東部、仙北郡(せんぼくぐん)にあった旧町名(六郷町(まち))。現在は美郷(みさと)町の中央部を占める一地区。1891年(明治24)町制施行。2004年(平成16)千畑町(せんはたまち)、仙南村(せんなんむら)と合併、美郷町となる。旧町域は、東を岩手県に接し奥羽山脈の一部を占める真昼(まひる)山地、西部は横手盆地の東部にあたる。国道13号(羽州街道)が通じる。真昼山地に発する鞠子(まるこ)(丸子)川などの河川が横手盆地東縁で六郷扇状地を形成し、湧泉(ゆうせん)地帯に集落が発達する。開発は早く、中世は六郷氏の拠点であった。秋田藩政時代は雄物(おもの)川舟運の発達に伴って物資の集散地として、また羽州街道の宿駅として栄えた。良質で豊富な湧水は開田とともに酒、しょうゆの醸造業を発達させた。かまくら行事の竹打ちは300年以上の伝統を誇り、「六郷のカマクラ行事」として国の無形民俗文化財に指定される。六郷湧水群は「全国名水百選」に選定されており、ほかに六郷氏ゆかりの諏訪神社(秋田諏訪宮)などがある。

[宮崎禮次郎]

『『六郷町明治百年史』(1968・六郷町)』



六郷(山梨県)
ろくごう

山梨県南部、西八代郡(にしやつしろぐん)にあった旧町名(六郷町(ちょう))。現在は市川三郷(いちかわみさと)町の西南部を占める一地区。旧六郷町は1954年(昭和29)町制施行。2005年(平成17)市川大門(いちかわだいもん)町、三珠(みたま)町と合併し市川三郷町となる。JR身延(みのぶ)線が通じる。旧町域は富士川の東岸に位置し、わずかな平地のほかは山地が大部分である。江戸時代から明治にかけて富士川水運の要地として栄えた。大正時代まで岩間足袋(いわまたび)の家内工業が盛んだったが、昭和の初めから甲州産水晶を材料に印章業が発達し、今日では全国生産の50%を旧六郷町で占め、旧町内の5人に1人が印章生産と関係をもっている。

横田忠夫

『『六郷町誌』(1982・六郷町)』


六郷(東京都)
ろくごう

東京都大田区南端、多摩川左岸の地区。六郷神社の氏子の地域が六か郷に及んだことが地名の由来という。江戸と東海道川崎宿を結ぶ交通の要所で、防衛のため約200年間架橋はなく六郷の渡しで連絡されていた。1874年(明治7)初めて木橋ができたが、流失するので1925年(大正14)鉄橋となった。橋より下流を六郷川ともよぶ。JR東海道本線、京浜急行電鉄、第一京浜(国道15号)が通る。

[沢田 清]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六郷」の意味・わかりやすい解説

六郷
ろくごう

秋田県南東部,美郷町中部の旧町域。東部は岩手県に接する。東は奥羽山脈の西斜面,西端は横手盆地に続き,丸子川扇状地の扇端部を占める。 1891年町制。 2004年千畑町,仙南村と合体して美郷町となった。羽州街道沿いに発達した宿場町として発展。佐竹義宣が秋田に転封の際,父義重がここに居館を建てて隠居し,そのとき周辺の寺院を集めたため,現在も寺院が多い。湧水を利用して清酒やサイダーなどの清涼飲料を産する。農業は米作中心。カマクラ行事は国の重要無形民俗文化財。 1994年には湯田沢川沿いに温泉がオープンした。

六郷
ろくごう

山梨県中部,市川三郷町南西部の旧町域。富士川左岸に位置する。御坂山地西端の山地,丘陵地にあり,富士川が峡谷をなすために平地は少ない。 1951年落居村,岩間村,楠甫村,葛籠沢村,宮原村,鴨狩津向村の6村が合体し,六郷村が成立。 1954年町制。 2005年三珠町,市川大門町と合体して市川三郷町となった。地名は6村が合体して村が成立したことにちなむ。古くから足袋の製造と,その行商で生計を立てる者が多かった。昭和初期から水晶の印章づくりが盛んになり,全国有数の産地として知られ,その後材料も象牙,瑪瑙,プラスチックと多様になった。

六郷
ろくごう

東京都大田区南部,JR蒲田駅付近から多摩川の鉄橋にいたる地区。地名はここにかつて八幡塚,高畑,古川,町屋,道塚,雑色の6集落があったことに由来。現行の地区名では仲六郷,西六郷,東六郷,南六郷に分れる。付近はかつては水田や果樹園が多く,ナシ栽培の中心地であったが,1920年代頃より京浜工業地帯の発展に伴い工場が進出。現在は住宅,工場地帯となっている。

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百科事典マイペディア 「六郷」の意味・わかりやすい解説

六郷[町]【ろくごう】

山梨県南西部,西八代(にしやつしろ)郡の旧町。富士川左岸の丘陵地を占め,米・果樹を産する。身延(みのぶ)線が通じる中心の岩間は行商出稼(でかせぎ)と足袋(たび)製造の町として知られたが,現在は水晶印章を特産,全国の印章生産の半分を占める〈日本一のハンコの町〉。2005年10月,西八代郡三珠町,市川大門町と合併し町制,西八代郡市川三郷町となる。13.28km2。4082人(2003)。

六郷[町]【ろくごう】

秋田県中部,横手盆地中央部を占める仙北郡の旧町。真昼(まひる)山地西麓に扇状地が開け,扇端付近に100余の湧泉があり,これを利用する清酒を多産。中心の六郷は佐竹義宣の秋田遷封のとき父義重が居館を建てて隠居した地で,道路,屋敷割が整然とし,寺院が多い。2004年11月仙北郡千畑町,仙南村と合併し町制,美郷町となる。39.06km2。7303人(2003)。→佐竹氏

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改訂新版 世界大百科事典 「六郷」の意味・わかりやすい解説

六郷(秋田) (ろくごう)


六郷(山梨) (ろくごう)

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