広田堰
ひろたせき
高野で十川から取水し、十川の右岸を並行して西流し、広田から北流する。開削年代は不明だが、元禄三年(一六九〇)に堰奉行・下役が置かれており、この時には存在したと考えられ、この後は堰庄屋が置かれた(平山日記)。同書によれば同一〇年・一一年の洪水により堰根が大破し、一一年には「右
根壱ケ所、柏木組深井村領有、此度五拾間登せ候」とあり、堰根を深井村(後の中泉村)より高野村まで上らせる普請があり、水下は広田・七ッ館・真黒屋敷・岡田・唐笠柳の五ヵ村、二一八町五反七畝であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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