底倉之記(読み)そこくらのき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「底倉之記」の意味・わかりやすい解説

底倉之記
そこくらのき

上野国新田氏一族の歴史。1巻。著者,成立年代未詳。文中2 (1373) 年新田義宗,脇屋義治らが南朝方に属して没落し,義治の子義隆が上野国新田に残留して再挙をはかり,以降諸所の合戦奮戦,応永 10 (1403) 年箱根底倉温泉に戦いの傷を癒やしているところを,鎌倉の関東公方足利満兼の軍勢に襲われ殺されるまでを記す。『改定史籍集覧』所収

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む