庵治庄(読み)おうじのしよう

日本歴史地名大系 「庵治庄」の解説

庵治庄
おうじのしよう

「春日社記録」中臣祐重記の寿永元年(一一八二)三月三日条に「福智庄・庵治庄二个度(下略)」、同年五月五日条に「節供二个度、庵治・坂原、先庵治奉備御供」とみえ、庵治庄は春日社神供料所であって、三月三日、五月五日に御供を備進したことがうかがえる。また寿永二年五月五日条には「若宮奉備御供、二个度、坂原・庵治所役也」ともあり、春日若宮への御供備進もあった。一方、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「五十六庵治庄栂尾領分、大乗院□□」とあり、室町期には興福寺大乗院領となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む