福智庄(読み)ふくちのしよう

日本歴史地名大系 「福智庄」の解説

福智庄
ふくちのしよう

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に、

<資料は省略されています>

とある。福智庄は上下両庄に分れ、ともに興福寺一乗院領であり、給主(預所)は両庄とも同寺慈恩院と考えられる。「大乗院雑事記」の寛正二年(一四六一)一一月一八日条には「福智上下両庄ハ慈恩院領也、福智下庄当門跡寄所也、仍米壱石為油代進之、両庄納所事、近来ハ自慈恩院仰付阿弥陀院之間、油米壱石モ納所阿ミタ院シテ門跡ヘ令進者也」とある。下庄はもと大乗院領であったが、油米一石を保留して、一乗院に寄進したので、慈恩院の指示によって阿弥陀院が油米一石を大乗院に上納している。


福智庄
ふくちのしよう

「春日社記録」中臣祐重記の養和二年(一一八二)三月三日条に「福智庄(中略)三人惣官菓子盛六種・追物六種・居御菜五種・汁二、福智如此」とあり、春日社神供料所で、三月三日の御節供を勤め、養和以後も同供を勤めている。また「春日社記録」中臣祐明記の建久九年(一一九八)六月晦日条に「春日若宮神人職事」として「山辺守行住所宇福池庄」とある。「福池庄」は福智庄と同一と考えられ、所在は荘号から現榛原町大字福地ふくちに比定される。

同庄が春日社領であったことは、興福寺領であったことも推測させ、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「福智庄宇多郡也、大乗院領 立野御給也、二十貫文、秋山請申 応永十三年」とあるので室町期には興福寺大乗院領福智庄があり、春日社の得分も存続していたものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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