日本歴史地名大系 「福智庄」の解説
福智庄
ふくちのしよう
福智庄
ふくちのしよう
「春日社記録」中臣祐重記の養和二年(一一八二)三月三日条に「福智庄(中略)三人惣官菓子盛六種・追物六種・居御菜五種・汁二、福智如此」とあり、春日社神供料所で、三月三日の御節供を勤め、養和以後も同供を勤めている。また「春日社記録」中臣祐明記の建久九年(一一九八)六月晦日条に「春日若宮神人職事」として「山辺守行住所宇福池庄」とある。「福池庄」は福智庄と同一と考えられ、所在は荘号から現榛原町大字
同庄が春日社領であったことは、興福寺領であったことも推測させ、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「福智庄宇多郡也、大乗院領 立野御給也、二十貫文、秋山請申 応永十三年」とあるので室町期には興福寺大乗院領福智庄があり、春日社の得分も存続していたものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報