日本大百科全書(ニッポニカ) 「廃帝亮」の意味・わかりやすい解説
廃帝亮
はいていりょう
(243―260)
中国、三国呉の第2代皇帝(在位252~258)。字(あざな)は子明。孫権(そんけん)の末子。権は初め長子の登を皇太子としていたが、登は権に先だって没し、ここに官僚や貴族を巻き込んで後継者をめぐる争いが生じた。新たに皇太子となった孫和も廃され、亮が皇太子となった。まもなく孫権が没し、亮が10歳で即位したが、彼を補佐するものが最初は諸葛恪(しょかつかく)であり、ついで恪を殺した孫峻(そんしゅん)、さらに孫綝(そんちん)とめまぐるしくかわった。綝の専横を憤った亮は、15歳になると親政を宣言し、同年代の子弟を集めて新軍をつくり、綝に対抗しようとしたが、かえって綝によって廃され、会稽(かいけい)王におとされ、さらに侯官侯におとされて自殺した。
[狩野直禎]