建部隆勝(読み)たけべ・たかかつ

朝日日本歴史人物事典 「建部隆勝」の解説

建部隆勝

生年生没年不詳
桃山時代の香道家。留守斎と号した。近江国(滋賀県)佐々木氏の家臣で建部城主であったともいわれるが判然としない。織田信長,豊臣秀吉の時代に活躍し,志野流2世志野宗温の弟子で,3世志野省巴の奥州退居による志野流断絶危機に当たって,同門の蜂谷宗悟継承をすすめたともいう。天正1(1573)年の年紀を持つ『香之記録』は「隆勝香之記」と呼ばれ,隆勝が判をしている。この記録は香の木所を7分類した最初の記録としても注目され,香道家としての隆勝の地位を決定的なものにした。のちに建部流がおこり,その祖とされた。<参考文献>一色梨郷『香道のあゆみ』

(熊倉功夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「建部隆勝」の解説

建部隆勝 たけべ-りゅうしょう

?-? 織豊時代の香道家。
志野流2代志野宗温の弟子。志野流3代の京都退去による断絶の危機に際し,同門の蜂谷宗悟に志野流4代の継承をすすめた。天正(てんしょう)元年(1573)「建部隆勝筆記」をあらわした。のちにおこった建部流の祖。号は留守(主)斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む