日本歴史地名大系 「廻洲村」の解説 廻洲村めぐすむら 大分県:大分郡野津原町廻洲村[現在地名]野津原町廻栖野(めぐすの) 廻栖(めぐす)恵良(えら)村の東にある。肥後街道が同村から当村枝村の新界(しんかい)村に七瀬(ななせ)川を徒渡りし、左岸を通って再び同川を徒渡りして当村岡鶴(おかづる)に入った。渡河点正面の山際に弘化二年(一八四五)建立の道中安全祈願碑二基がある。一基は「清正大神祗」と記され、清正信仰を表す。江戸時代を通じて肥後熊本藩領で、野津原手永に属した。「肥後国誌」によると胡麻津留(ごまづる)村(現大分市)のうちとし高一九八石余、新界村・赤反村・三堂村などの小村がある。続けて田吹(たぶき)村六七石余が載る。「豊後国志」も胡麻津留村の枝郷とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by