朝日日本歴史人物事典 「弁房承誉」の解説
弁房承誉
鎌倉後期の東寺領伊予国(愛媛県)弓削島荘の荘官,悪党としても知られる。伊予国小(大)山を本拠地とする。代官を務めていた正和1~3(1312~14)年に,讃岐国より弓削島荘に乱入した悪党に対して,自ら兵粮米を用意し数百人の勢をもって合戦した末にこれを退け,その功績により正和5年,預所に任ぜられた。しかしそのころからすでに年貢や夫役等をめぐって百姓らと対立しており,いったん預所職を改替されさらに還補されたのち,正中1(1324)年,百姓らと対立しふたたび預所職を改替され,当国,他国の悪党数百人を引き入れた。典型的な悪党行動と同時に,兵粮米を用意し年貢を立て替え何度もの任料を支払うという経済力でも注目される。なお,弁房と承誉を別人とする説もあるが採らない。
(馬田綾子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報