日本歴史地名大系 「弐分方村」の解説 弐分方村にぶかたむら 東京都:八王子市弐分方村[現在地名]八王子市弐分方町恩方(おんがた)村および元八王子(もとはちおうじ)村から延びる丘陵の東端に立地。大楽寺(だいらくじ)村の西にあたる。中世は船木田(ふなきた)庄内由比本(ゆいほん)郷に含まれた。正和二年(一三一三)五月二日の関東下知状(天野文書)によれば、伊豆出身の御家人天野氏の顕茂・景広兄弟は父景茂の遺領をめぐって相論を起こしたが、この日和与が成立、兄の顕茂が「顕茂所得内由比本郷参分壱但屋敷堀内等者参分弐乃内仁付」 を弟景広に譲ることで決着をみたようである。この顕茂から弟景広に譲られた所領が一分方で、兄の顕茂が相続した由比本郷三分の二にあたる部分が二分方で、現弐分方町にあたる。田園簿に弐分方村とみえ、田三石余・畑一六二石余で幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by