デジタル大辞泉
「八王子市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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八王子市
はちおうじし
面積:一八六・三一平方キロ
東京都の西部にあり、北部は昭島市・福生市・あきる野市および西多摩郡檜原村、東部は日野市・多摩市、南部は町田市、南西部は神奈川県津久井郡の城山町・津久井町・相模湖町・藤野町と接する。北東部の昭島市境を多摩川が流れ、市域の西部からほぼ東流する谷地川、川口川・山入川・小津川・北浅川・城山川・南浅川・湯殿川を合せた浅川が東部で多摩川に合流する。これらの水源となる山嶺は、北から刈寄山(六八七・三メートル)・市道山(七九五・一メートル)・要倉山(五四九・三メートル)・陣馬山(陣場山、八五七メートル)・堂所山(七三一メートル)・景信山(七二七・一メートル)・小仏城山(城山、六七〇・三メートル)および高尾山(五九九・二メートル)などが連なる。北部の谷地川の流域は加住丘陵とよばれ、南部には多摩丘陵が横たわる。市域をJR中央本線・同八高線・同横浜線、京王電鉄高尾線・同京王線・同相模原線、多摩都市モノレール、中央自動車道、国道一六号(東京環状)・同二〇号(甲州街道)や秋川街道・陣馬街道・高尾街道・北野街道・野猿街道などが通る。
〔原始・古代〕
市域の旧石器時代の遺跡には小比企向原遺跡などがある。縄文時代の遺跡は市域の台地や丘陵の至る所から発見されているが、同中期には遺跡数も増加し、椚田遺跡・小比企向原遺跡・犬目中原遺跡・楢原遺跡などの大きな集落が出現する。宮田遺跡で子供を抱く土偶が出土している。同後期から遺跡数は減少し、晩期にはわずかに弁天池遺跡などで遺物が発見されている程度である。弥生時代では後期になると船田遺跡・中郷遺跡などで集落跡がみられる。宇津木遺跡は方形周溝墓命名の地として知られる。古墳時代前半では神谷原遺跡・尾崎遺跡、後半では中田遺跡・船田遺跡・石川天野遺跡などの集落跡があるが、古墳は少なく、七世紀前半の北大谷古墳・小宮古墳などが築かれているのみ。奈良―平安時代では古墳時代から継続する集落跡の発掘も多い。平安時代の遺跡には九世紀中頃から約一〇〇年間須恵器を中心に生産された御殿山窯跡群がある。律令制下の市域は多摩郡に所属し、「和名抄」にみえる川口郷の故地に比定されている。多摩川の支流である浅川が流れ、丘陵が展開する地勢を利用して由比・石川両牧(勅旨牧)が設定され、朝廷へ馬匹の貢進が行われた。また小野牧を大沢地区に比定する説もある。「万葉集」巻二〇の豊島郡上丁椋椅部荒虫の妻宇遅部黒女が詠んだ「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」中の横山は、当市域を含む多摩丘陵の呼称である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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