弐町目(読み)にちようめ

日本歴史地名大系 「弐町目」の解説

弐町目
にちようめ

[現在地名]岐阜市加納本町かのうほんまち

中山道に沿い東西に延びる両側町。加納二六町の一。東は壱町目、西は三町目に至る。河渡屋ごうどや町とも称された。寛延二年(一七四九)の加納宿絵図によると、町西端付近を北に折れ、東天神ひがしてんじん町に通じる道が描かれる。元和五年(一六一九)神戸ごうど(現安八郡神戸町)の在地土豪宮田(不破)五郎右衛門・森与次右衛門・篠田左近右衛門が加納藩に召寄せられて移住したのが当町の始まりといわれる。その後縁者を集めたり、先住者を支配下に組入れ町並を形成した。貞享五年(一六八八)の間口裏行覚帳(三宅文書)によれば町の長さ六四間、家数二一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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