日本歴史地名大系 「加納町」の解説
加納町
かのうまち
〔町の成立〕
慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦直後、徳川家康が岐阜城を廃止して加納城を新たに築造し、女婿の奥平信昌(一〇万石)を城主に据えたことにより成立。加納城の新設は、それまでの岐阜街道(名古屋街道とも)に代わって中山道が主要な通路になりつつあり、同街道の管理掌握を家康が重視した結果と考えられる。加納城の北の丸の内にあたる部分が中山道を扼するところに位置しているのはその一証拠といえよう。そのため当町は城下町であると同時に中山道の宿でもあり、その宿が町を特徴づけていた。それは町場の景観にも現れ、町の西半は中山道沿いに
関ヶ原の合戦のとき家康を手引した土豪達に築城の手伝いを命じたり、当地や
加納町
かのうまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報