翻訳|well
地下から水などを汲(く)み出すために掘った穴。古語では泉や川辺なども含めて水を汲み取る所を井または井戸と総称したが、現在では掘(ほり)井戸のことをさす。地中に求める資源によって水井戸、温泉井戸、石油井戸、天然ガス井戸などがあり、また使用目的により生産井(資源を汲み出す)、還元井(未汚染の冷房排水などを地中に戻す)、観測井(地下水位の変化を測る)などがあるが、ここでは日本の水井戸を中心に記述する。
地下水は飲用水源としての量的安定性と水質の良好さの点で河川水や天水よりも一般に優れているので、人々は古くから地下水が湧(わ)き出た泉に依存して生活を営んだ。泉は地下水流の自然露頭であり、扇状地の末端や段丘崖(がい)、山腹、火山の麓(ふもと)など特定の地形の所にしか存在しない。農耕に適した平野部にかならずしも泉はないので、土を掘って水を得る知恵が生まれた。丸太をくりぬいて地中に埋めた井戸が、弥生(やよい)時代の遺跡からみつかっている。奈良時代になると、どこに井戸を掘ったら水が出るかを地形から判断する知識や掘井戸の技術は仏教僧によっても広められた。
[小林三樹]
雨水の一部は地中に浸透するが、地下に水を通しにくいか通さない緻密(ちみつ)な地層(不透水層)があると、浸透水はその層に遮られて水がたまり、砂礫(されき)などの間隙(かんげき)が水で満たされて地下水面が形成される。そして水は地中を高所から低所に向かって移動する。この地下水面は浸透量と流出量との関係によって自由に昇降しうるので、自由面地下水(自由地下水)または不圧地下水という。これに対し不透水層の下の地層内の地下水は、上流の山地や湖や川からの流入を受けて地層の傾斜に沿って流下し、不透水層に抑え込まれた形で存在している。したがって不透水層に孔(あな)(井戸)をあけると、この地下水は井戸内に上昇してくる。このような地下水を被圧地下水という。水圧と水量が十分なうちは自噴するが、多数の井戸が掘られると水圧が低下し、やがて自噴を停止する。
自由面地下水の水面は平野部では一般に浅く、地表面下数メートル~十数メートルにあり、比較的容易に汲み出せるので古代から広く利用されてきた。これを浅井戸という。これに対し深井戸は、一般に被圧地下水を汲み出すものをさす。
[小林三樹]
浅井戸には垂直井戸と水平井戸とがある。垂直井戸は地下水面の下まで縦に穴を掘ったもので、口径の太いものを筒井戸、鉄管を打ち込むなど細いものを管井戸という。地下水を井の底面から流入させる開端井戸では底面に、また井の下部の周囲から流入させる閉端井戸では周囲に、濾過(ろか)の目的で砂利や砂を敷き詰める。水はつるべ、手押しや電動のポンプを用いて、また風車や畜力を利用して汲み上げる。井戸は地下水位の低下している時期に掘削し、井壁は土の崩落を防ぐため石または木材、コンクリート管などで保護する。これを井戸側(がわ)(井筒(いづつ))といい、地上部の囲いを井桁(いげた)という。井筒の外側と井桁の周囲は、地表からの汚水の浸透を防ぐため粘土やモルタルで締め固める。
砂地、扇状地、段丘などでは地下水面が深く、地表面から数十メートルも掘らなければ水を得られない所もある。平安時代には崩れやすい表層を広く掘り下げて窪地(くぼち)をつくり、その底から垂直に孔をうがつなどの方法が採られた。戦国時代の城も小高い要害の地ほど深い井戸が掘られており、水を得る苦労がしのばれる。
中近東など乾燥地帯で紀元前から発達した井戸に横井戸(水平井戸)がある。これは、遠い山麓(さんろく)などの帯水層から水を集め、砂漠の地下を流して集落まで導き出すもので、長さ数キロメートル~十数キロメートルにも及ぶ。30~50メートル置きに縦穴を掘り、その底から両側へわずかに勾配(こうばい)をつけたトンネルを掘って相互につなげたもので、中近東ではカナート、カレーズ、北アフリカではフォガラ、中国では乾児井(かんにせい)、坎井(かんせい)などとよばれている。砂漠の地下水路は導水途中の蒸発と砂嵐(すなあらし)による埋没を防ぎ、縦穴は、崩れる砂をかき上げて水路を保守するためである。日本に横井戸は少ないが、鈴鹿(すずか)山地東麓(三重県)の段丘から水田に水を導いた「まんぼ」(明治・大正期)が小規模ながら横井戸である。
一方、川沿いや川底の砂利層の中を流れる伏流水を集水トンネルで大量に取水するものに集水埋渠(まいきょ)があり、地方都市の水道で使用されている。これは、管壁に細孔をあけたコンクリート管を砂礫中に埋めて横につなぎ、大量の水を得るもので、原型は讃岐(さぬき)平野(香川県)の出水(ですい)(旧河道などに掘割(ほりわり)を設けて伏流水を取り出す集水渠)、三重県北勢平野の伏樋(ふせび)(竹や柴(しば)を束ねて埋め集水する樋(とい))にみられる。いずれも流量と水位が大きく変動する荒れ川からの取水方法としてくふうされたものである。放射状井戸(満州井戸)は、縦の浅井戸の底部から集水管(孔をあけた鉄管)を水平放射状に周囲にうがったもので、集水目的の横井戸と汲み上げ目的の縦井戸を組み合わせたものといえる。
[小林三樹]
浅井戸で地下水を安定して豊かに得られない地域では、不透水層(堅い細砂や粘土の層か岩盤)を打ち抜いて水を得る努力が重ねられた。それが掘抜き井戸である。現存する最古の井戸は4000年前のエジプトのヨセフの井戸で、50メートルと40メートルの2段に掘られ、合計90メートルの深さがある。
堅い地層を掘り抜く方法に打撃法と回転法とがある。打撃法は硬い先端部を付した鉄管とか円錐(えんすい)形のおもりに綱索をつけ、組み立てた櫓(やぐら)の上から何度も落下させて地層を打ち砕いて掘り進むものである。江戸時代の日本では、どっこいしょ掘りなど土着の掘抜き技術に、大陸伝来の技術が集大成され、竹の弾力と樫(かし)の棒、竹筒を用いた上総掘(かずさぼ)り方式として発展を遂げ、昭和初期まで全国で広く用いられた。回転法は、特殊な堅い刃先(特殊鋼やダイヤモンド製)を付した鉄管を地表のモーターから高速で回転させて削りながら掘り進むもので、日本では大正時代からこの方法により多数の本格的深井戸が掘られた。掘りくずの排出には、古くは打込み管に弁を付し管内に押し上げたが、最近はもっぱら泥水を掘進点に圧入し地上と循環させる方式でなされる。泥水は、粘土とバリウム塩などの化学薬品を調合して密度と粘度を調整した液で、削りくずの輸送、回転面と刃先の潤滑、冷却、孔壁の固化という目的のほかに、地層状態の診断のために用いられる。
掘削した穴には外筒管(ケーシングcasing)を挿入して、砂の崩落と地圧による圧壊を防ぐ。地下には一般に幾層もの地層が重なっているが、透水層によって取水可能な水量と水質が異なっている。集水したい地層面の外筒管には水が流入する格子(ストレーナーstrainer)を設ける。
[小林三樹]
地下水は地表からの浸透水が砂礫の間隙(かんげき)に蓄えられて流動するものであるから、浸透量または流動量を超えて揚水すると、種々の障害を生ずる。まず地下水位の低下をきたし、続いて水分の減少による地層の収縮が地盤の沈下をもたらし、市街地内に降った雨による氾濫(はんらん)、洪水や高潮による浸水や塩害の危険、構造物や地下埋設物の損壊などの公共的障害の原因になる。
日本では井戸の利用を土地所有権の一部として民法解釈上で保護してきたが、地盤沈下による公共の安全の阻害が明白な地域では、新規または大口径の井戸の掘削や使用を制限している。なお地下水位の低下には、河床の低下、洪水の減少、地下工事による揚水、市街地内での池や緑地など雨水が浸透できる面積の減少なども副次的に原因している。
海岸部では淡水の地下水塊の下に海水が浸入しており、その境界面は降水量や河川からの浸透量、汲上げ地下水量、潮汐(ちょうせき)などによって日々変動しているが、揚水量増などで淡水側の圧力が弱まると、海水が内陸側にいっそう入り込み、地下水の塩水化を招く。対策としては、地表面被覆(舗装や建築物)の制限、地下水の揚水量規制のほか、地中への淡水圧入などさらに積極的な涵養(かんよう)策をとるしかない。
[小林三樹]
水温が年中ほぼ一定であることは地下水の特徴である。地下水の水温は8~15メートルの深さで恒温度(年平均気温の1~2℃高)となり、それ以深では25~33メートルについて1℃ずつ温度が高くなる。水質は、地層内での濾過や吸着、土壌微生物による分解などを受けているため一般に良好であるが、水の流動の速度や経路、地質状況によって異なる。浅い地下水は地表からの汚染を受けやすいほか、天然由来の安定な着色有機物を含む場合がある。地層を汚染すると回復に時間がかかるので、農地で散布する化学肥料や農薬、廃棄物処分場からの浸出水にはとくに注意を要する。また深層地下水は、流動の乏しいものほど溶存酸素濃度が低く、無酸素状態で溶出した鉄、マンガンイオンや地下細菌を含み、水処理を要する場合もある。
[小林三樹]
地下水が分布する地域では、井戸さえ掘れば水を取り出せるので地下水は優れた水資源である。乾燥地帯や東南アジア、中国など河水が高濁もしくは高塩分の地域では、飲用と灌漑(かんがい)用に地下水は大いにたいせつにされている。またヨーロッパ大陸では河川や運河は船舶の航行が多いこと、複数の国を経由して流れていることなどから汚染事故の危険をつねに抱えており、地下水のみが安全な飲料水源であるとの認識が強い。そこで水源涵養地域の環境保全や地中汚染の防止、節水を徹底したうえで大切に扱われている。それにひきかえ日本では、20世紀中葉の社会の発展につれ、各種用途に大量に揚水され、地盤沈下などの障害を生ずるに至った。環境基本法では地盤沈下を典型7公害の一つに掲げている。自分の敷地に井戸を掘って水を汲む権利は土地所有権の一部であるが、地盤沈下など公共の福祉を侵害していることが明らかな場合には、所有権の行使を制限できるとの概念に基づいて、現在、東京、名古屋、大阪など沖積低地に発達した大都市域では、井戸の使用が制限されている。しかし地盤が強固で沈下を生じていない地域での地下水利用は放任されているので、地下水位が低下を続けている地域も散見される。その一方で、震災などで水道施設が損壊した場合に依存しうる唯一の都市内水源として、多くの都市で緊急時に限定して活用するための保存が図られている。他方、地方中小都市で、地下水流動量の範囲に揚水総量を調整するとともに、積極的に水源涵養を行って、地下水資源のもつ長所を十分に活用している例もある。地下水は地域固有の共同財産であり、地下水をどう位置づけてどのような保全策や制限のもとで活用するかは、地域社会が環境的水管理の一環として決めていくべき事柄である。
[小林三樹]
井戸は今日一般には、掘井戸のことと考えられるが、井戸(ゐど)の「ゐ」は、集(ゐる)、堰(ゐ)の意味で、古くは泉でも川でも、水をせき止めて、用水として水を汲(く)み取る所を「井」といった。そのことは、各地に残っている井戸に対する呼び名からも知られる。たとえば、沖縄や薩南(さつなん)諸島(鹿児島県)、伊豆大島では「カー」、九州から瀬戸内海沿岸では「カワ」、北陸地方では「イケ」とよんでいる。やがて、これに木や石の囲いを構えて、「井筒(いづつ)」「井桁(いげた)」とよんだ。『扇面(せんめん)法華経冊子』や『信貴山(しぎさん)縁起』などの絵巻物をみると、この井筒、井桁から水があふれ出ているようすが描かれている。
しかし、このような自然に湧(わ)く水や流水を利用できる土地は限られており、ここに人工的な地下水の汲み上げ方法が考えられた。これには横井戸と縦掘り井戸の二つの方法がある。横井戸は、水源まで階段をつくり、水桶(みずおけ)などで水を運び出す方法で、薩南諸島の洞窟(どうくつ)の泉や、埼玉県狭山(さやま)市など関東台地に残る螺旋(らせん)階段状の「まいまいず」などは、その古い掘井戸技術を示すものである。一方、縦掘り井戸は、地下水のところまで垂直に穴を掘り、地下水を汲み上げる方法で、千葉県の上総掘りなどにみられる堅い土の層を掘り抜く方法である。こうした縦掘り井戸は、すでに、奈良の平城宮跡や橿原(かしはら)の藤原宮跡などから数多く発掘されており、その優れた技術は、都城制などとともに大陸から伝えられたものと考えられている。このように掘井戸の歴史は古いが、しかし普及は遅く、日本の多くの都市では、近代的水道の始まる明治初年まで、用水路から日常の用水を求めたり、水売りから川の水を買った所も少なくない。
なお、縦掘り井戸の水を汲み上げるには、普通、釣瓶(つるべ)が用いられたが、これには、縄や竿(さお)などでつり上げる「ふりつるべ」のほか、てこを応用した「はねつるべ」、滑車(かっしゃ)を用いた「車井戸」などの方法が行われた。しかし1897年(明治30)以後は、手押しポンプが採用され、1945年(昭和20)以後は、家庭電化に伴って、電動ポンプアップに変わってしまった。
また、人間生活にとってたいせつな水は、村落形成の一要因ともなるが、共同井戸の存在は、特殊な社会結合を生む一要素となり、七夕(たなばた)に行われた江戸の井戸替え行事なども一種の井戸神(水神)の祭祀(さいし)と考えられる。さらに深井戸の神秘性から井戸に竜神や井戸の主(ぬし)がいるなど種々の俗信、習俗を生んでいる。
[宮本瑞夫]
典型的な中国の村は真ん中に井戸をもち、それを中心に集落が形成される。井戸は飲み水を供給するとともに、洗濯なども行われる社交場である。ドイツの農村も村井戸を中心に共同体の生活が営まれており、一村に多くの井戸のある場合、それを中心に井戸仲間が形成される。こうした井戸がもつ人々の生活への重要性は他の地域でも当てはまるが、西アジアから北アフリカにかけての乾燥地帯ではいっそう顕著である。ここでは、井戸は掘った集団や個人の所有に帰し相続の対象となっている。イスラム教徒の集落も多くは中心に井戸をもち、その近くにモスクが建てられる。イスラム教徒は、モスクで礼拝するにあたって、人体のあらゆる穴を清めることが必要とされる。井戸の水はその清めの力をもつ。特定の井戸の水がこうした宗教的、神秘的力をもつことは、他の地域にもみられる。インドネシアのバリ島では、ある寺院の中にある井戸は、神聖な水をたたえており、病気治癒に効果があるとされている。
古代ギリシアでは、聖なる井戸に供え物を投げ込むことによって占いを行う風習があった。供え物が沈むと神の好意が受けられるとし、そうでないと悪い兆しと判断された。スラブ人の間には、聖ジョージの日の明け方、娘が井戸を見つめ、水面に未来の夫の映るのを待つという風習があった。さらに、井戸の神が多産や治病の神として崇(あが)められることも、ヨーロッパの民俗に広くみられる。アイルランドのある井戸は、聖人の力で聖化され、身体障害を治す力があるといわれ、夏至の夜に多くの信者が集まる。
他方、地底に向けて掘られた井戸は、地下の国への入口とも観念され、水の精霊や水怪の住む所と考えられた。フィン人の間では、井戸の雄牛とよばれる水怪が井底に住むといわれ、子供が井戸に近づくとこれに引きずり込まれるなどと伝える。この俗信は、ユーラシアの東西に広がる水神と牛馬とを結ぶ観念に由来するとされる。
[田村克己]
『酒井軍治郎著『地下水学』(1965・朝倉書店)』▽『柴崎達雄他著『地下水資源学』(1973・共立出版)』▽『榧根勇編『地下水資源の開発と保全』(1973・水利科学研究所)』▽『山本荘毅著『揚水試験と井戸管理』(1962・昭晃堂)』▽『蔵田延男著『水理地質学』(1955・朝倉書店)』▽『山本博著『井戸の研究』(1973・綜芸社)』▽『堀越正雄著『井戸と水道の話』(1981・論創社)』
用水として地下水を得るために地中に掘られた穴を井戸という。ただし特殊目的の井戸には地下水調査用の観測井,地下水を人工涵養する涵養井,工場廃水などを地下処理する注入井などがある。昔は地中に湧き出る泉を井と称した。原始的な井戸は今のような竪孔ではなく,泉を改修したり,窪地や崖下を掘ったものが多く,ひしゃくや手桶で水を汲んだため,地下水面の深い所では階段式にするとか,螺旋形の路で下りて行くとかした。東京都羽村市のまいまいず井戸は,台地面から水面までの深さ約10m,周囲60mで,水を汲みやすいように鉢状に掘り下げてあり,形がカタツムリに似ているのでこの名がついた。ローマ市の北北西にあるオルビエト市の聖パトリック井は特殊な構造のまいまい井戸で,1527年から10年かけて凝灰岩中に掘られた。竪井戸は直径4.7m,深さ58.4mで,螺旋状に回って12まわりを248段の階段で下り,別の階段で上ることができる。
井戸は掘削方法,採水方法,構造などによって呼び名も多種多様であるが,一般に手掘りの竪井戸を浅井戸というのに対し,機械掘りの竪井戸を深井戸という。深度による区分ではなく,前者が不圧地下水(自由地下水ともいう)を対象とするのに対し,後者は被圧地下水を対象とし,俗に掘抜井戸と呼ばれていた。英語ではアーテジアン・ウェルartesian wellというが,これは1126年に北フランスのアルトアArtoisで初めて掘られたためである。ただしエジプトでは,4000年以前に掘抜井戸が掘られていたという。掘抜井戸のうちで地下水が地上に噴出するものを自噴井,しないものを非自噴井という。自噴高は周辺の地形と地質構造に左右され,地下水の涵養域と流出域の標高差が大きく,帯水層の上に不透水層があり,単斜構造を示す地域で大きい。自噴高は日本ではせいぜい5mであるが,サハラ砂漠のヌビア砂岩の井戸では40mを超えるものがある。オーストラリアの大鑽井(さんせい)盆地Great Artesian Basinには名前のとおり自噴井が多く,関東平野や濃尾平野などの構造盆地でも,被圧地下水の開発初期には多数の自噴井がみられた。
最もふつうの浅井戸は掘井戸である。これは直径1~2mで,井壁は必要に応じて玉石やコンクリート筒で保護してある。深さはふつう10m以下であるが,台地や扇状地では30mを超えるものもある。昔は手押ポンプか釣瓶(つるべ)で揚水したが,現在は電動ポンプが用いられる。浅井戸の一種に,都市の上水や工業用水に用いられる直径3~30mの集水池がある。また地下水の乏しい所では俗に満州井戸と呼ばれている集水井が用いられる。これはふつうの掘井戸の地下水面下に,帯水層中にヒトデのような放射状枝管を出し,この先に集水管を付してある。親井戸の水面を揚水して下げると枝管から水が集まってくるので,多量の水を得ることができる。
以上の井戸はいずれも竪井戸かその変形であるが,横形式の井戸に横井戸,集水暗渠,集水トンネルがある。小規模の横井戸は突井戸とも呼ばれ,民家の裏の崖などに小さな横穴をあけ,樋や塩ビ管でしみ出した水を集めるもので,かつて丘陵地などで広くみられた。集水暗渠は河川からの伏流が期待できる場所に,孔をあけたヒューム管などを埋めて採水するもので,単線の場合と支線を出す場合がある。周囲は玉石で充塡する。扇状地に多くみられ,普通1m3/s程度の大量取水を目的としている。
集水トンネルの代表は古代ペルシア人が考えだしたイランのカナートである。カナートは西アジアのほか,北アフリカ,中央アジア,イベリア半島,メキシコ,チリなどの乾燥地域で広くみられ,リビア砂漠ではフォガラ,アフガニスタンではカレーズ,中国では坎児井と呼ばれている。これは山麓部で地下水を掘り当てた母井戸の水を,勾配をつけたトンネルで集落や灌漑地まで自然流下で引いてくるものである。ただしトンネル掘削は手掘りで行うため,一定間隔に竪孔を掘り,下流側から順に隣どうしをトンネルでつなげて,最後に母井戸に達する。この方式によると地表にダムを造る必要がなく,蒸発による損失も少ない。ただし湧出量を調節できないのが欠点である。カナートの規模は,母井戸の深さ50m以下,トンネルの長さ5km,湧出量100m3/h以下が大部分を占めるが,長さ10kmを超えるものもある。日本では,集水トンネルは〈まんぼ〉と称せられ,三重県鈴鹿山麓や,淡路島の一部,奈良県葛城扇状地などにみられる。〈まんぼ〉という名は坑道を意味する〈まぶ〉に由来するとの説がある。鈴鹿市の内部川扇状地の〈まんぼ〉は素掘りで,長さ200~1350m,幅60~100cm,高さ60~120cmで,主として水田灌漑に使われていた。地下水を人工的に涵養する涵養井にも竪井戸と横井戸の2種がある。イスラエルでは揚水と涵養を兼ねることができる井戸で,季節によって地表水を涵養したり,地下水を揚水したりして帯水層を貯水池として利用し,国全体の水の有効利用を図っている。また,アメリカ合衆国では深さ500m以深に塩水地下水の分布する地域が多く,この中へ工場廃水などを注入する方式がふつうに行われている。
執筆者:榧根 勇
人と水とのかかわりは密接で,水辺から離れて生活する場合や渇水期に水をえるため,古くから地下の水脈を探って井戸を掘ってきた。中国新石器時代の仰韶文化では,把手付き尖底壺が水汲みの釣瓶(つるべ)にあてられている。江南の馬家浜文化の遺跡からは方形に杭を並べて打ち込み,土を除いたのち内側に框(かまち)をはめた井戸が発見されている。春秋時代の銅鉱山における竪坑などからすると,相当深く井戸を掘る技術が確立しており,戦国時代の鄭韓古城では厨房に設けた陶製井戸枠積みの井戸が発見されている。秦咸陽城の宮殿では暑気をさける冷蔵庫として厨房内に深い陶製井戸枠積みの竪坑を掘るが,これは井戸の一つの利用形態である。漢代の集落遺跡では住居に付属する素掘り,塼積み,陶製井戸枠積みの井戸が発見される。陶製井戸枠は井戸専用につくった直径の大きな土管を数個積み上げたもの。漢代の画像石や明器にあらわれる井戸は円形,角形に分かれ,陶製ないしは木製と思われる手すりがつき,上屋をつけ滑車で水を汲むものや上屋を設けず撥釣瓶(はねつるべ)で水を汲むものなど,井戸の種類はこの時代に出そろっている。4世紀の朝鮮の安岳3号墳の壁画には漢式の撥釣瓶が描かれている。
日本では弥生時代の井戸がもっとも古い。素掘りのもののほか,丸木をくりぬいた井筒をいれるものがあり,往々にして土器などの食器が堆積している。飛鳥時代以降,井戸は著しく発達する。平城宮では原則として,厚板を井籠状に組み立てる井戸枠が一般的である。大膳職など食事をつかさどる官司の井戸はとくに大型である。ほかに竪板を筒状につなぎ合わせたものがあり,とくに天皇に供する御井の井戸枠は巨大な杉丸太をくりぬいた井筒であった。一般住宅の井戸は官司の井戸にくらべて小型で,四隅に柱を打ち込み桟をわたして竪枠板を支えるものが一般的である。それとは別に,大型曲げ物の側板を積み重ねる井戸がある。澄んだ水をえるため,底に玉石を敷く例も少なくない。奈良時代後半からは特に底に曲げ物の目玉を埋めこむ例が多くなる。手すりの状況や滑車,撥釣瓶については不明だが,上屋がつき周囲に石敷きの洗場,排水溝などを設けるのは大型井戸にかぎられている。平城宮には土師器にツタの把手をつけた釣瓶があり,京内の貴族の屋敷からは松材をくりぬき鉄板の箍(たが)をはめた本格的な釣瓶が出土している。中世の小型井戸では土釜の底をぬいたものを積み重ねたものが出現し,中近世にかけては河原石ないしは割石を木口(こぐち)積みにした円形の井戸が一般化する。井戸は信仰の対象にもなり,古代の井戸からは斎串や土馬などけがれを払う祭祀具や完形土器などが発見される。中近世の井戸では,廃棄時に竹管や護符を埋めこんで,祭祀を行った例が少なからず知られている。
執筆者:町田 章 古くは水そのものが生活や生産にとって重要であったことや,中国から伝来した道教の影響もあって,井戸水が霊水視され,古くから各地で大井社・御井社などとよばれる神社がまつられており,また東大寺二月堂前の若狭井のように特別な伝承をもって神秘化されたもの,また仏像などがそのそばに安置されたものなども多かった。律令国家は駅家(うまや)に井戸を掘らせて通行者に供することを命じているし(《延喜式》),行基菩薩や弘法大師などによって開削されたと伝承される古い井戸は多いが,僧侶の社会事業の一つとして開削されたものが多かったことが推測される。
井戸は板やくりぬいた大木で井桁・井筒を作り,垂直に埋めて作った比較的浅いものが多かったが,平安時代後期ごろからは,井桁や井筒を自然石や加工した板石で築くものが多くなった。しかし関東地方では台地を漏斗状に掘りこんで,その底部に井戸のある巨大なものがあり,《枕草子》に〈ほりかねの井〉として伝えられるものもあった。中世住居遺跡から数多くの井戸の遺構が発掘されているし,また青竹の節を抜いて逆さに立て〈金貴大徳〉という陰陽道の呪札を付して埋められた井戸も発掘されていて,中世人の井戸に対する信仰の深さを物語っている。中世において井戸開削の技術も発達して深い石組みの石筒の井戸も多くなったが,井戸に対する信仰ともかかわって,中世賤民でこれに従事するものもいた。
執筆者:三浦 圭一
井とは,水の流れが一定の場所にとどめられた所をいい,とくに井の水は,清浄であり,飲料水に供せられた。古くは,自然湧水や清らかな川の流れにそった地点が選ばれていた。南九州一帯では,井戸をカワとよぶ地域が残っており,伊豆大島でも以前,共同井戸をカァとよんでいた。地面を深く竪に掘り下げた掘井戸が普及する以前には,井戸といえば,家の前の川べりの物洗場をさすのが一般的であった。《万葉集》にも,〈山の辺のみ井を見がてり神風の伊勢をとめども相見つるかも〉とうたわれていて,いわゆる井戸端に,多数の女たちが集まっている情景がみられた。《常陸国風土記》によると久慈郡高市(たけち)は,密筑(みつき)の里といい,里の中に浄泉(いずみ)があって〈大井〉とよばれていた。そして夏になると,遠近から男女が集まってきて大井のまわりで遊び楽しんだとある。高市という地名は,各地にあり,人々の相集う市の存在を示しており,その中心に井戸があったことがわかる。大和の海柘榴市(つばいち)や飛鳥(あすか)市などにも,井戸が中心にあったことが指摘されている。飲料に適する水があると,そこは人の集会地となり,自然に物売もきて売買交換が行われ,市が発生したのである。
神話の中で語られる〈天真名井(あまのまない)〉には,神秘的な霊力が存在していた。天照大神と素戔嗚尊とが,〈天真名井〉のほとりで,自分の潔白を証明するために誓約し合うという故事が伝えられている。井のそばで,井水をつかって,まじないをした。〈天真名井〉の水が,浄化の役割をはたし,剣や曲玉・管玉といった呪具に,井水をそそぐと,神々が誕生したとある。古代の井戸には,霊的な存在がおり,聖なる水が管理されているという信仰が強かった。井戸には井(戸)神,水神の信仰が伴って,民俗信仰を形成している。記紀では,水神を,罔象女(みつはのめ)と記し,井神は〈御井の神〉または〈木の俣(また)の神〉などともいって,別個の神格としている。井神も広い意味での水神に属するだろうが,井戸という限定された場所の守護霊としての位置が特徴となっている。井戸に賽銭を投げて祈願する習俗は,日本でも古代からみられた。水神・井神に供えるのは,はじめは石や鏡,あるいは米粒などが用いられた。古い湖沼の水底から古鏡が発見される事実が,そのことを示唆している。井戸に硬貨を投げ入れる行為は,祈願のほかに,水面に落下する音の調子で,運命を占うことも意図したらしい。大坂城天守閣の金明水とよばれる井戸は,かつて豊臣秀吉が黄金を投げ入れ,豊臣家の命運を占ったとも,秀吉個人の長寿を祈願したとも伝えられている。
日本の伝説の代表例である〈弘法井戸〉は,弘法大師がもっている杖でたたいて,聖なる水を涌出させた奇跡譚であり,〈姥が井〉は,誤って子どもを死なせた乳母が入水した伝説を伴っている。いずれも聖(ひじり)や巫女などの民間宗教者たちが,聖泉を用い祭事を行った痕跡をものがたるものである。昔話の中には,井戸の中に落下した座頭を助け上げた家が,長者となった話もある。〈継子と井戸〉のモティーフでは,継子があやまって,皿を井戸の中へ落としてしまい,継母は怒って,継子を井戸の中にとりに行かせる。井戸の中は広い野原で,そこにいた老婆が継子に幸運を与えてくれたという。また,〈三枚の御札〉では,山姥に追われた子どもが,便所神に助けられて逃げていく話であるが,そのおり,山姥は,井戸に映った子どもの姿を見つけて,飛びこんで死んでしまうという部分がある。こうした一連のモティーフの基底には,井戸が,他界との通路にあたっているという潜在意識が横たわっている。魂呼びは,臨終に際して,死者の名を大声でよぶ民俗であるが,その中でよく聞かれるのは,井戸の底をのぞきこんで,名をよぶという行為である。明らかに,井戸を通って,霊魂が死者の世界に赴くと考えた一端を示している。江戸時代には,掘井戸を通して,亡霊が出現する幽霊話が多く語られている。《番町皿屋敷》の怪談では,女中の菊が,家宝の皿を割って手討ちとなり,遺体が井戸に投げこまれたため,夜な夜な,井戸の底から,皿を数える声が聞こえてくるというもので,民間によく流布している。盆前に,井戸さらいをするのは,きれいにする意味もあるが,一方では,死霊がこの世に戻ってくるための道をきちんと作るためであったろう。歴史的には,井水の飲料水という必須の存在を前提として,聖なる水の浄化作用に対する古代信仰が成立した。次には,洞窟や穴と軌を一にする井戸の形が,現世と他界の境界にあたることから,井戸のもつ独自の空間に霊的なものの存在を認めるに至り,ここに井戸にまつわる民俗信仰が作られていったのである。
→泉
執筆者:宮田 登
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…比較的小さな径の穴を主として鉛直方向に掘ったものの総称である。地下の地質や鉱物などのサンプルを取る目的であったり,地下水をくみ上げる目的であったりで,坑井の径の大きさや深度,掘削方法に違いがあるが,石油や天然ガスを採収することを目的とする坑井が最も規模が大きく,通常数千mの深度であり,ときには1万mに近いものも掘られる。地球物理学上の調査を目的とした坑井では1万mを超えるものもある。 石油や天然ガスを対象として掘削される坑井は次のように分類することができる。…
…前2者に比べて水量も多いため,外来河川によって養われるオアシスはメソポタミアのそれのように,一般に巨大である。(4)人工的オアシス 地下水が井戸や掘抜井戸,あるいはカナートなどの方法で地上にもたらされることにより,人工的につくり出されたオアシスも存在する。掘抜井戸は被圧地下水を自噴させる工夫であり,カナートは水の重力を利用した取水方法であるが,一般の井戸では水のくみ上げに,人力,畜力,機械力を必要とする。…
…地中にあって大気圧以上の圧力をもち,井戸やトンネルの中へ,あるいは泉となって地表へ自然にしみ出すことのできる水を地下水という。陸水のうち河川や湖沼などの地表水に対し,地下に分布する水をさすが,普通は地下深所のマグマに由来する処女水と,土粒子の表面をおおっている吸着水や,粒子の間に不飽和の状態で存在する毛管水,さらに重力に従って深部に下って行く重力水などの土壌水は区別する。…
…日本では回転運動を利用するさまざまな装置を〈ろくろ〉と呼んでおり,(1)製陶用,(2)木工・金工用,(3)重量物移動用,(4)井戸の水汲み用の装置をさす。このほか,回転運動と無関係な,傘の柄の上部にとりつけて骨の端をはめこむ小さな臼状の部品もこの名で呼ぶ。…
※「井戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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