弐貫野村(読み)にかんのむら

日本歴史地名大系 「弐貫野村」の解説

弐貫野村
にかんのむら

[現在地名]鴻巣市笠原かさはら

元荒川左岸の低地笠原村の東に連なる。東は栢間かやま(現菖蒲町)、南は元荒川を隔て上常光かみじようこう村、北は中種足なかたなだれ(現騎西町)。埼玉郡菖蒲しようぶ領に属した。笠原村の枝郷で、かつて秣場永銭二貫文を納入したのが村名の起りという(風土記稿)。寛永二年(一六二五)笠原村とともに領主永井信濃守により検地が行われた(宝暦一三年「笠原村明細帳」小荒井家文書)。田園簿によれば高二二七石で田二二町五反余・畑六町八反余。旗本戸田領。以後変わらない。幕末の改革組合取調書および旧領旧高取調帳では笠原村に含まれて記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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