日本歴史地名大系 「笠原村」の解説
笠原村
かさはらむら
多治見村の南東に位置し、中央を土岐川支流笠原川が平園川などの支流を集め北西に流れる。東は
慶長六年(一六〇一)妻木氏は関ヶ原の合戦の功により、旧領地を安堵され、当村も旗本妻木領となる。万治元年(一六五八)妻木氏断絶以後幕府領となる。慶長郷帳では一千九一石余、正保郷帳では高一千六一石余、うち田高八六七石余・畑高二九三石余・小物成米(山年貢)六石余で合計は合わない。元禄郷帳では高一千二一二石余。笠原村のうち北西に位置する滝呂郷は五六石余(天保一三年「高反別仕訳帳」吉川文書)。宝暦一一年(一七六一)の村明細帳(松原文書)によれば田六六町八反余・畑一七町八反余、新田高一一石余・反別二町六反余。秣場約五町・野山約三〇町がある。家数三三〇(うち山伏六・庵三・寺三)・人数一千三三二、馬二五。用水は溜池二ヵ所に依存。農間稼は男は縄ない・莚打、女は木綿織を少々行う。
笠原村
かさはらむら
- 埼玉県:鴻巣市
- 笠原村
笠原村
かさはらむら
- 滋賀県:守山市
- 笠原村
笠原村
かさはらむら
笠原村
かさはらむら
笠原村
かさわらむら
笠原村
かさはらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報