日本歴史地名大系 「弓手原村」の解説 弓手原村ゆではらむら 奈良県:吉野郡野迫川村弓手原村[現在地名]野迫川村大字弓手原(ゆみてはら)川原樋(かわらび)川上流、弓手原(ゆみてはら)川流域に所在。元禄郷帳に「ユテハラ」村と訓ずる。「イデハラ」ともいう。正平二二年(一三六七)の北俣頼房等連署請文(高野山文書)には湯土原頼氏の名がみえ、元禄一二年(一六九九)の常喜(じようき)院白銅製金剛盤には出原と刻銘する。十二村(じゆうにそん)郷迫(せ)組に属する。慶長郷帳では十二村二〇〇石のうちに含まれ、幕府領。延宝検地により村高は一五・〇六四石となった。水田のない村で、元禄六年の当酉差出帳によると、粟・稗・芋・蕎麦の作付がみられる。享保一七年(一七三二)の大和国吉野郡差出帳弓手原村下書(弓手原区有文書)によると、反別は二町九反九畝、山手銀八匁。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報