世界大百科事典 第2版 「高野山文書」の意味・わかりやすい解説
こうやさんもんじょ【高野山文書】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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真言宗・高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)に伝わる文書の総称。
〔1〕本寺金剛峯寺に伝存する文書として、(1)江戸時代に整理・表装された「正・続・又続宝簡集(ゆうぞくほうかんしゅう)」、(2)「勧学院(かんがくいん)文書」、(3)「御影堂(みえどう)文書」、〔2〕子院に伝来する文書として、(4)旧学侶(がくりょ)方諸院所蔵の「金剛三昧院(こんごうさんまいいん)文書」「五坊寂静院(ごぼうじゃくじょういん)文書」「高室院(たかむろいん)文書」「持明院(じみょういん)文書」「清浄心院(しょうじょうしんいん)文書」「西南院(さいなんいん)文書」「正智院(しょうちいん)文書」「宝寿院(ほうじゅいん)文書」、(5)旧行人(ぎょうにん)方諸院所蔵の「興山寺(こうざんじ)文書」「福智院(ふくちいん)文書」「安養院(あんにょういん)文書」「蓮華定院(れんげじょういん)文書」「西門院(さいもんいん)文書」「本願院(ほんがんいん)文書」「大圓院(だいえんいん)文書」、〔3〕高野山の地主神、丹生都比売(にうつひめ)神社の神主家や高野山政所(まんどころ)(慈尊院(じそんいん))の別当家に伝わる文書として、(6)「丹生(にう)家文書」「中橋(なかはし)家文書」などがある。
(1)は当寺の最重要史料集で、272巻3502通からなり、9~18世紀の当寺の仏神事、制度、寺領に関する文書が収められている。1275年(建治1)に百姓等自身の手によって片仮名で書かれた「阿氐河荘上村(あてがわのしょうかみむら)百姓等言上状(ごんじょうじょう)」など、中・近世史上、著名な史料が多く、当時の社会構造とその変化、宗教の果たした役割などを知るうえで貴重である。(2)(3)は近世史料が多数を占めるが、総数は20万点を超え、(1)を補完する史料群として価値をもつ。(4)(5)には、中・近世の当寺子院と公家(くげ)・武家との寺檀(じだん)関係を示す史料が数多く蔵されている。(1)は『大日本古文書 家わけ1』1~8に、(2)(4)(5)の一部は総本山金剛峯寺編『高野山文書』1~4に所収。
[山陰加春夫]
国際野球試合における野球日本代表の愛称。SAMURAI JAPAN(サムライ・ジャパン)とも記される。国際野球連盟(IBAF)主催・公認の各種大会・試合に出場し、オリンピックでは1984年のロサンゼル...
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