日本歴史地名大系 「弟子待」の解説 弟子待でしまつ 山口県:下関市引島弟子待[現在地名]下関市彦島弟子待町一―二丁目彦(ひこ)島の東端にあり、関門(かんもん)海峡の大瀬戸(おおせと)に臨む辺りをいう。伝承によると、宮本武蔵と佐々木巌流が船(ふな)島(巌流島)で試合をした時、巌流の弟子が待っていたのでその名がついたといわれる。また「類聚国史」(田地部上)の勅旨田の項に、天長七年(八三〇)五月二二日「長門国外嶋一処、為勅旨嶋、但其内之公私田地、公験灼然、不在此例」とある「勅旨」はテシと読み、勅旨町(てしまち)から弟子待へと変化したとして、この地を比定する説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の弟子待の言及 【彦島】より …関門トンネル(鉄道)の入口が江ノ浦にある。なお,島の東端弟子待(でしまつ)は,東にある巌流島での決闘のとき,佐々木小次郎の弟子が待機していたところという伝えがある。【三浦 肇】。… ※「弟子待」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by