引島(読み)ひくしま

日本歴史地名大系 「引島」の解説

引島
ひくしま

[現在地名]下関市大字彦島ひこしま彦島海士郷ひこしまあまのごう町・彦島老町ひこしまおいまち一―三丁目・彦島老の山公園ひこしまおいのやまこうえん彦島本村ひこしまほんむら町一―七丁目・彦島竹ひこしまたけ子島こじま町・彦島西山ひこしまにしやま町一―四丁目・彦島迫町ひこしまさこまち一―七丁目・彦島緑ひこしまみどり町・彦島江の浦ひこしまえのうら町一―九丁目・彦島弟子待ひこしまでしまつ町一―三丁目・彦島杉田ひこしますぎた町一―二丁目・彦島山中ひこしまやまなか町一―二丁目・彦島桜ひこしまさくらおか町・彦島角倉ひこしますまくら町一―四丁目・彦島向井ひこしまむかい町一―二丁目・彦島田の首ひこしまたのくび町一―二丁目・彦島塩浜ひこしましおはま町一―四丁目・彦島福浦ひこしまふくうら町一―三丁目

現下関市の南西端に、関門かんもん海峡の西口に横たわる島。現在は彦島と称し、周囲二五キロ余、面積八・五平方キロ。

「日本書紀」仲哀天皇八年に「筑紫の伊覩県主の祖五十迹手、天皇の行すを聞りて、五百枝の賢木を抜じ取りて、船の舳艫に立てて、上枝には八尺瓊を掛け、中枝には白銅鏡を掛け、下枝には十握剣を掛けて、穴門の引嶋に参迎へ献る」とある。

平安時代末期の、源俊頼の歌集「散木奇歌集」には引島が次のように詠まれている。

<資料は省略されています>

吾妻鏡」元暦二年(一一八五)二月一六日条に「新中納言知盛相具九国官兵、固門司関、以彦島定営」とある彦島の、その場所は定かでない。「平家物語」巻一一(鶏合・壇浦合戦)に「さる程に、九郎大夫判官義経、周防の地におしわた(ツ)て、兄の参河守とひとつになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の引島の言及

【彦島】より

…面積9.82km2,産業・交通上の要地を占め,本土と連続した市街地を形成する。《日本書紀》仲哀紀に〈引島〉とみえ,和歌,紀行などに〈ひくしま〉と記される。源平合戦には平家方の根拠地となった。…

※「引島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」