ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「強学会」の意味・わかりやすい解説
強学会
きょうがくかい
Qiang-xue-hui; Ch`iang-hsüeh-hui
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… これよりさき,1895年,彼は会試受験のため入京したが,日本に敗れた清朝政府が過酷な講和条件を受諾しようとしているのに憤激し,1200名の挙人の署名を集めて和議拒否の上書(公車上書)を行った。これ以後,強学会など学会の名を借りた政治結社と雑誌出版により政治改革の必要を鼓吹した。97年,第5上書を行い,ロシア,日本に範をとって立憲君主制を国是とするよう求めたのが,光緒帝に認められ,翌年6月,〈明らかに国是を定める〉との上諭により〈変法〉が開始され,彼は光緒帝のブレーンとなって,いわゆる〈百日維新〉の改革プランをつぎつぎに立案した。…
…すなわち,一方で変法の具体策を次々に上書すると同時に,他方,梁啓超(りようけいちよう),譚嗣同(たんしどう)らの支持者とともに,厳禁されていた政治結社に代わるものとして学会を各地に設立し,また新聞雑誌を創刊して〈瓜分(国土分割)〉の危機,民権の振興,変法の緊急性を訴えた。まず,同年8月,北京に強学会を設立し《中外紀聞》を創刊した。ついで上海にも強学会を設立し,《強学報》を創刊した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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