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梁啓超 りょうけいちょうLiang Qi-chao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

梁啓超
りょうけいちょう
Liang Qi-chao

[生]同治12(1873)
[没]1929
中国,清末~民国初期の啓蒙思想家,ジャーナリスト,政治家。広東省新会県の人。字は卓如。号は任公。名門の出で光緒 15 (1889) 年の挙人。康有為に師事して変法自彊運動に参加,『時務報』を発刊し,湖南変法運動を指導し,同 24年中央に登用されて,康有為を助けて変法を推進したが,失敗して日本に亡命 (戊戌の変法) 。日本では『清議報』『新民叢報』を発行して西欧近代思想を紹介し,『新民説』で中国人の自覚を主張し,青年知識人に大きな影響を与えた。孫文に接近したこともあるが,基本的には清朝の立憲君主制的改革を唱え,革命派機関誌『民報』と論戦を展開し,中国内地の立憲運動を指導した。辛亥革命後,帰国して袁世凱のもとで政治顧問となったが,袁の帝政には反対し,1915~16年の第3革命に参画した。のち段祺瑞内閣の財政総長。彼は啓蒙思想家として大きな寄与をしたが,後半生は,軍閥,官僚との結合を強め,革命運動に反対する保守的存在となった。『清代学術概論』のほか,おもな論文は『飲冰室合集』『飲冰室文集』に収録されている。

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デジタル大辞泉の解説

りょう‐けいちょう〔リヤウケイテウ〕【梁啓超】

[1873~1929]中国、末・民国の政治家・学者。広東省新会県の人。字(あざな)は卓如。号、任公。康有為に師事し、戊戌(ぼじゅつ)の改革に参加したが、失敗して日本に亡命。辛亥(しんがい)革命後、帰国して立憲党を基盤に進歩党を組織。司法総長などを歴任。著「清代学術概論」など。リアン=チーチャオ。

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百科事典マイペディアの解説

梁啓超【りょうけいちょう】

中国,清末〜民国初期の啓蒙家,政治家。広東省の人。号は任公。1889年の挙人康有為に師事。変法自強運動期に湖南の革新運動を推進。1898年戊戌(ぼじゅつ)変法で日本へ亡命。
→関連項目公羊学仁学梁思成

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梁啓超 りょう-けいちょう

1873-1929 中国の啓蒙思想家,政治家。
同治(どうち)12年1月26日生まれ。康有為に師事し,ともに光緒帝の政治改革をたすける。清(しん)末の政変で明治31年(1898)日本に亡命。辛亥(しんがい)革命後の1912年帰国し,袁世凱(えん-せいがい)政権にくわわるが,袁の帝政運動には反対した。のち清華大教授,北京図書館長。1929年1月19日死去。57歳。広東省出身。字(あざな)は卓如。号は任公。著作に「先秦政治思想史」「清代学術概論」。

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世界大百科事典 第2版の解説

りょうけいちょう【梁啓超 Liáng Qǐ chāo】

1873‐1929
中国,清末・民国初の政治家,啓蒙的ジャーナリスト,学者。字は卓如,号は任公,滄江,飲冰室主人(いんぴようしつしゆじん)など。広東省新会県の人。わずか17歳で郷試に合格して挙人となったが,翌1890年(光緒16)春の会試に失敗した。その秋,同郷の康有為の門に入り,従来の漢学(古文学)とは異なった今文学を学び,あわせて欧米の近代思想や仏教学にも接したことは,彼の思想に決定的な影響を与えた。それ以後,康有為の変法維新運動の有力な協力者となり,95年,康有為の最初の政治活動である〈公車上書〉を推進した。

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大辞林 第三版の解説

りょうけいちょう【梁啓超】

1873~1929) 中国、清末・民国の学者・政治家。字あざなは卓如、号は任公。康有為に師事、戊戌ぼじゆつの変法自強運動では中心となって活躍したが、失敗し、日本に亡命。民国成立後は司法総長。著「清代学術概論」「先秦せんしん政治思想史」など。リアン=チーチャオ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梁啓超
りょうけいちょう / リヤンチーチャオ
(1873―1929)

中国、清(しん)末民初のブルジョア改良主義者、学者。号は任公または飲冰(いんひょう)室主人。広東(カントン)省新会県の生まれ。師の康有為(こうゆうい)とともに変法自強運動をしたので「康梁」とよぶ。1896年、上海(シャンハイ)で『時務報』を主宰し「変法通議」を発表し、『西政叢書(そうしょ)』を編集し、ヨーロッパ学芸の紹介に努めた。翌1897年に長沙(ちょうさ)の時務学堂で講義し、変法自強運動を積極的に鼓吹した。1898年北京(ペキン)に行き、百日維新である戊戌(ぼじゅつ)の変法に参加。西太后(せいたいこう)らのクーデターで失敗し、日本に亡命した。日本では『清議報』、続いて『新民叢報』を編集し、立憲保皇の立場をとり、民主革命派からは批判された。しかし、ヨーロッパのブルジョア的な社会・政治・経済学説を紹介し、当時の知識階級にかなり大きな影響を与えた。辛亥(しんがい)革命後の1912年10月帰国し、立憲党を基盤に進歩党を組織し、袁世凱(えんせいがい)を擁護し袁政府の司法総長となった。その後、段祺瑞(だんきずい)と合作し、財政総長となり、五・四運動(1919)時期には打倒孔家店(儒教打倒)のスローガンに反対した。代表的著作は『清代学術概論』『中国歴史研究法』『先秦(せんしん)政治思想史』などで『飲冰室合集』『飲冰室文集』に収録されている。[山下龍三]

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世界大百科事典内の梁啓超の言及

【国故整理運動】より

…国故整理の動きは,早くに清末の章炳麟を元祖とするが,より直接的には,17年にアメリカから帰国して北京大学教授となった26歳の胡適が書いた《中国哲学史大綱》(上巻,1919)を創始とし,およそ四つの分野からなる。第1は,胡適や梁啓超の《先秦政治思想史》に代表される先秦の諸子百家および仏教などについての思想史的研究。第2は,おなじく胡適による《西遊記》《水滸伝》《紅楼夢》など元・明・清の古典小説の整理考証,また周作人らの北京大学歌謡研究会がおこなった民間に伝わる故事伝説歌謡などフォークロアの収集といった文学的研究。…

【時務学堂】より

…しかしその提調(校長)の熊希齢(ゆうきれい)のもとに集められた教員が,みな康有為の門人か心酔者であったため,1897年(光緒23)10月に開校されるや,たちまち変法維新運動の拠点となった。梁啓超,唐才常らは,先に康有為が広州に開いた万木草堂の教育方針にのっとって大同と変法の思想を説いた。そのため保守派の反対圧迫を招き,わずか数ヵ月で閉鎖された。…

【時務報】より

…毎号およそ20余ページ,3万~4万字からなり,立憲君主制を鼓吹する論説,時事,外国新聞雑誌の翻訳などを掲載した。97年10月まで主筆をつとめた梁啓超の文章(《変法通議》など)によって,当時の改革主義思想の宣伝に大きな影響力をもった。【河田 悌一】。…

【新民叢報】より

…のちに不定期刊となる。日本に亡命していた梁啓超は,自分の編集した《清議報(せいぎほう)》を1901年(光緒27)12月,100期で停刊にしたが,翌年2月,それを受けついで,《新民叢報》を横浜で創刊した。その編集には,ほかに韓文挙,蔣智由,馬君武らがあたった。…

【西学】より

…彼らはしだいに政治制度の改革,すなわち変法論へ向かうことになった。西欧列強の蚕食に悩む病める中国の現状の原因を科学知識の不足に求めた梁啓超は《西学書目表》(1896)を,そして徐維則は《東西学書録》(1899)を著した。これはこの時期に翻訳された西書のリストであり,これによって,当時の西学の盛況の一端をうかがうことができる。…

【東西文化論争】より

…それに対して,第1次大戦の傷跡の大きさを目撃,ヨーロッパでも〈西洋の没落〉が論じられだしたことをうけて,西洋文化の物質偏重を排し東洋の精神文化を見直そうという声が,胡適らの〈全面的西洋化〉論に反発する伝統主義者のなかからあがった。欧州の旅から帰国し科学の破産を叫んだ梁啓超の《欧遊心影録》(1919)を端緒に,辜鴻銘(ここうめい)は東洋文明こそがよりよき人間をつくると説き,北京大学でインド哲学を講じた梁漱溟は《東西文化及其哲学》(1922)を書いて,中国文化,インド文化によって西洋文化の弊害を救おうと主張し,〈東方に帰れ〉と述べた。23年以降,この論争は,科学万能主義に反対する張君勱(ちようくんばい)と科学を重視する丁文江らによる〈科学と人生観〉の論争にひきつがれた。…

※「梁啓超」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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