一般に翻訳とは,ある自然言語の語・句・文・テキストの意味・内容をできるだけ損なうことなく他の自然言語のそれらに移し換えることをいうが,とくに文学作品の,ある自然言語から別の自然言語への移し換えをいう場合もある。また,翻訳という言葉は翻訳の行為・活動・過程を指すこともあれば,翻訳の産物・作品を指すこともある。なお,口頭で行われる翻訳は通訳と呼ばれる。
ロシア出身の言語学者R.ヤコブソンは,翻訳を,(1)言語内翻訳(同一言語内での言換え),(2)言語間翻訳(ある自然言語から別の自然言語への移し換え),(3)記号系間翻訳(自然言語を別の記号系に置き換えること)の3種に分けたが,この考えは(2)の言語間翻訳に還元される翻訳の一般通念を打破して,翻訳というものが言語の本質にかかわるものであることを示している。この翻訳の概念に基づいて意味の定義も導き出され,それは言語学のみならず文化記号論にも採用され,その発展に貢献している。
翻訳の最も典型的なケースとみなされているのは(2)の言語間翻訳であるが,それは(1)の言語内翻訳の際の媒介言語が同一の自然言語で話し手・聞き手双方にとっておおむね透明であるために翻訳が意識されないのに対し,(2)の場合には異なった自然言語の間で不透明性が意識されるからである。したがって,翻訳の本質を明らかにするためにはやはり(2)の機構の解明から出発するのがよい。
翻訳は何よりもコミュニケーションとして理解されなければならない。コミュニケーション図式にすると,話し手は自分の言語(コード)を用いて文(メッセージ)を作り(コード化),それを聞き手に送る。聞き手はその文(メッセージ)を受け取ると,それに自分の言語をつき合わせて解読し了解が成立する。これをコード解読,コード変換などというが,それらも翻訳にほかならない。話し手,聞き手が同一言語を使用するときにはこのプロセスは自動的に行われてしまうが,両者が異なった自然言語を母国語とするときには,〈desk(英語)→机(日本語)〉というようにコード解読・コード変換が意識されるようになる。たとえば,英語を母国語とする送り手が英語で文を作り,日本語を母国語とする受け手に発信すると,後者は送られてきた英文に,desk→机,chair→椅子,等々といった暗号解読表をつきつけることによってこれを解読する。もちろん,熟達した翻訳者においては,これは母国語の場合のように行われてしまうのであるが。しかし,翻訳は了解ばかりでなく,翻訳言語による〈再表現化〉(ロシア文学の父,A.S. プーシキンがすでにこの概念を用いている)の作業をともなっている。すなわち,翻訳者は原語テキストの読者であると同時に,翻訳テキストの受容者たちにとって原作者の代理,あるいは新しい作者として登場することになるから,先に挙げたコミュニケーション図式は翻訳者を接点にして,原作者→原語テキスト読者/翻訳者→翻訳テキストの読者,というように二重化されるのである。ここではいかに原語に熟達した翻訳者といえども,しばしばなんらかの困難に出会わずにはいられない。それは,いうまでもなく,原語と翻訳言語が異なる構造をもち,異なった文化を背負い込んでいるからであるし,さらに,それら両言語間の対応が,それぞれ固有の人生経験をもつ原作者と翻訳者の間で複雑に屈折されるからである。原語の文化には存在しても翻訳言語の文化には存在しない〈固有風物〉(あるいはその語彙(ごい)。レアリアrealiaという)の翻訳などは,翻訳者が苦渋する端的なケースである。かりに翻訳者がそれを現地人同様によく知っていたとしても,彼がそれを翻訳の受容者が適切に受容できるようにうまく翻訳できるとは限らない。
国際交流の頻繁化とともに翻訳のもつ意義はますます増大しており,当然のことながら翻訳過程の理論化が求められているが,この面では,とりわけアメリカの言語学者ナイダEugene Nida(1914- )の理論,ソ連の翻訳理論研究者V.N.コミッサーロフの理論,それにフランスの言語学者G.ムーナンのものなどが注目に値する。
聖書翻訳の研究に関して造詣の深いナイダは,その豊かな実践と理論的知識に基づいて翻訳理論の建設に大きな貢献を行った。彼は,翻訳とは原語で表現された内容をそれに最も近い翻訳言語で自然に再現することであると考えたが,そのために両言語の間に設定される対応・等価性を〈ダイナミックな等価性dynamic equivalence〉と呼んだ。この〈ダイナミックな等価性〉のくふうの結果によって,翻訳の読者が原文の読者が感じるのと同じ感じをもつようにならなければならず,このようにでき上がった翻訳についての最終的評価を下すのは翻訳テキストの読者である。ナイダによると,翻訳のプロセスは,(a)(文法的)分析,(b)転移,(c)再構成,という三つの段階からなるという。(a)の(文法的)分析は,原文の表層構造を核文へと逆行的に変形し(要するに,難渋なテキストを平易な言葉に言い換えるのである),さらに成分分析によって指示的意味(デノテーション),共示的意味(コノテーション),などを比較対照的に検討したうえで両言語間の対応,等価性の設定を考えるのである。こうして原語から翻訳言語への〈転移〉が行われ,さらに,受容者が適切に理解・受容できるように〈再構成〉が行われる。ナイダは言語構造について内心構造と外心構造という二つのタイプを区別したが,前者は,話し手が言わんとすることが語の結合により明示的に表現される場合であり,後者は,日本語の〈ボクはうなぎだ〉のように,そこで用いられた語の総計からは文の意味が理解されず,理解をコンテキスト(上例なら料理屋などといった発話の行われる場面)に依存するような場合である。ヨーロッパの諸言語(とくにインド・ヨーロッパ語族に属するそれら)の間での翻訳ならば,言語構造と文化の類似性により,ナイダの3段階説も有効であるが,それらヨーロッパ諸語と日本語との間の翻訳の際には必ずしも有効でないのは,こうした言語構造の根本的相違にもよる。また,日本において翻訳の構造と理論の形式化・モデル化が企てられず,一種の翻訳談義に終わってしまうのも一つにはこれと関係があろう。ヨーロッパ諸語から日本語への翻訳においては,たとえば,英語からドイツ語へのシェークスピアの翻訳のような形式的厳密さを求めることは無理になり,対応と等価性設定に対して柔軟なアプローチが求められる。
コミッサーロフV.N.Komissarovの翻訳理論は発話を重視した理論で,これはロシア・ソビエト言語学の傾向と関係がある。同じ文でも,状況・コンテキストによって意味が変わるし(変換意味),同じ状況を描写する場合にも話し手がどの視点からどの側面に着目するかによって,それは異なってくる。そこでコミッサーロフは,(a)コミュニケーションの目的のレベル,(b)状況描写のレベル,(c)通報のレベル,(d)言表(=文)のレベル,(e)言語記号のレベルという五つのレベルを考え,目的のレベルでの了解を必須として,できるだけ多くのレベルで等価性の設定が成立するほど,その翻訳案は理想的であるとする〈等価レベル理論〉を提唱した。コミュニケーションの目的とは何よりも原作者の意図・目的であるが,現代の文学理論が明らかにしているように,テキストは原作者からひとり立ちし,彼の意図・目的がテキストの構造に融解し,多義的な解釈が可能であるとすると,翻訳者は原作者の意図・目的に関して,また翻訳言語によるテキストの構造の可能な再現方法に関して,実存的選択を迫られるのかもしれない。たとえば,明治時代に多く行われた外国文学(戯曲)の翻案もその例であって,これは原作の言語・文化と日本語とその文化との間に,越えがたい距離が存在するために,日本の文化状況に即して原作テキストの人名,地名,状況を日本のものに移し換えたものだが,ここには原作者の意図を離れて翻訳者の意図が強く表に出ている。
翻案は大衆の趣味に応じたものであるが,本来の翻訳はある民族に未知の事がらを紹介するものであると同時に,原語と翻訳言語との接触によって原作は新しい生命を得て生き続けることができるようになるし,翻訳言語もその出会いにおいて新しい可能性を発見し己の財産とするのである。これが翻訳のもつ創造性であって,たとえば,二葉亭四迷の場合のように,ある民族の自覚を示す標準的文学言語も,他の言語との出会いのなかから新たに己が可能性を発見することによって形成されるのである。外国語との出会いは,民族の言語をしばしば刷新する。一般に文学の新しい言葉も,そうしたなかから生み出されるのである。すでにアリストテレスの《詩学》も異国の珍しい言葉の喚起力に注目しているし,ソビエトの文芸学者M.M.バフチンは言語と言語の接触・混交から新しい言語が生み出されることを自己の言語論の原理としている。異質の文化を担った異質の言語と言語が出会う場合,100%の翻訳可能性,〈正解〉は絶望的となるが,実はそうした場合の翻訳不可能性とそれから生じる一種の〈曲解〉こそ翻訳を受容する言語と文化に新しい創造性をもたらすということができる。明治時代に日本人がいかにヨーロッパ文化の諸概念を取り入れ造語を行うことによって民族の文化と意識の更新を企てたかを考えるならば,このことは容易に理解されよう。
こうした言語間翻訳の基礎をなすのが言語内翻訳であって,これは,たとえば,(a)同一文化に属する異なる話し手と聞き手が同一の自然言語でコミュニケーションをしたり,(b)同一個人が理解のために難しい語をやさしい語に言い換えたりする場合(日本語についていうなら,和文和訳)であり,後者は言語についての言語,メタ言語であり,一般に了解の基盤をなす。言語内翻訳の際にも,言語間翻訳と同じようなプロセスが生じているが,ふつう日常の対話などでは母国語の自然さゆえにそれが気づかれないのである。しかし,思想内容の深いテキストや芸術テキストになると,外国語のテキストに接するのと同じようなプロセスがここに生じるのである。F.E.D.シュライエルマハー,W.ディルタイ,H.G.ガダマー,P.リクールらによって展開されてきた解釈学の諸問題も,また近年盛んな読者論(読者)の問題もこれにかかわることである。思想内容の深いテキスト,芸術テキストは作者の手を離れてひとり立ちし,その受容者は単なる了解にとどまらず,新しい意味の発見に取り組むことになる。それは言語間翻訳での新しい言葉の創出の場合と同様である。
同一言語内の翻訳がどのようにして了解と結びつくかといえば,最終的には言語習得の過程において体験的に習得した基本語への関係づけによってである。もちろん,このプロセスには推論も関係してくる。この同一言語内の翻訳,言換えから〈意味〉というものの定義も導き出された。すなわち,情報理論の創始者であるC.E.シャノンはこの意味を〈翻訳の際の不変体〉と規定し,この規定がヤコブソンや文化記号論研究者たちによって取り入れられたのである。同様の考えはすでにC.S.パースやバフチンによっても述べられていた。パースによれば,記号の意味とは,その記号をより詳しく展開する別の記号への翻訳なのである。自然言語はあらゆるものについて語ることができ,それを人間の意識にのぼらせることができるが,それは自然言語そのものについても語ることができるのである。こうした記号は自然言語をおいて他に存在しないから,自然言語こそはあらゆる記号のなかの雄ということができる。
記号系間翻訳は,ヤコブソンの説明によると,〈言葉でない記号体系の記号による言葉の記号の解釈〉ということなのだが,ここでは,ある記号系を別の記号系に置き換えることというように広く解釈しておくことにしよう。その場合,どちらかの記号系が自然言語である場合もあるし,そうでない場合もありうる。たとえば,〈危険!〉を交通標識の赤信号に置き換える場合が記号系間翻訳の典型的な例の一つであるが,赤信号の意味が〈危険!〉であるならば,逆に非言語記号系の,言語記号系への翻訳が成立していると考えることもできるはずである。また,数式や化学式なども,表記の簡略を期して自然言語で表現可能なものを別の記号系に置き換えたものであるから,十分に記号系間翻訳ということができる。
記号系間翻訳は,さらに,より広義の翻訳について語ることを可能にする。たとえば,フランスの象徴主義詩人A.ランボーは〈A(アー)は黒,E(ウー)は白,I(イー)は赤,U(ユー)は緑,O(オー)は藍色〉(《母音Voyelles》の冒頭部分)であるというが,これも類比的に母音体系の,色彩体系への翻訳と考えることが可能であるし,音楽,絵画といった芸術作品の内容を言葉で言い表す場合,あるいはその逆も同様である。たしかに,この広義の翻訳の場合には,置換えが行われる記号系間の対応の設定は恣意的であるから,前記3種の記号系間翻訳と同列に並べるわけにはいかないだろうが,この類比によって人間の意識活動の微妙な側面が明らかになってくることを考えれば,決して無意味ででたらめなこととして退けるわけにはいかない。たとえば,ロシアの作曲家A.N.スクリャービンがその顕著な例であったように,ある一定の楽音を聴くと一定の色が感じられるという〈色聴〉といった共感覚synesthesiaは,少なくとも個人においては記号系間の対応が一定していることを示しており,したがって,前記(ヤコブソンによる分類)の記号系間翻訳に近い意味で,楽音世界の色彩世界への変換・翻訳,あるいはその逆の変換・翻訳を考えることが可能になる。このことは人間の意識が言語記号系を中心とするさまざまな記号系によって支えられており,それら相互の関係に〈翻訳〉が無縁でないことを意味している。
→記号
執筆者:磯谷 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
メッセンジャーRNA(mRNA)の遺伝情報が,タンパク質のアミノ酸配列として発現される過程をいう.遺伝情報の発現は遺伝情報の担い手であるDNAからリボ核酸(RNA)に写され(転写),mRNAの情報がタンパク質中のアミノ酸配列を指定する.タンパク質合成はリボソーム上で行われるが,mRNAはまず,リボソームに結合し,そのmRNA中のコドンに対し,アミノアシル転移RNA(tRNA)のアンチコドン部位が対応することにより,特定のアミノ酸のアミノアシルtRNAがリボソーム上の一定の場所に結合する.その場所で,そのアミノアシルtRNAはペプチジルtRNAからペプチド部分を受けとり,ペプチド結合によってアミノ酸部分がつながることにより,アミノ酸の1個増えたペプチジルtRNAとなる.この段階は種々の酵素によって触媒される.すなわち,mRNAが直接タンパク質の鋳型となるのではなく,このようにtRNAの仲介によってmRNAの情報がタンパク質へ伝えられる.このとき,種々の酵素が関与するが,タンパク質合成の開始点と終了点はmRNA上の塩基配列によって決定され,開始点は,合成開始因子とN-ホルミルメチオニン-tRNAの関与によってはじまり,終了点は,合成終了因子の関与によってリボソーム上から合成されたタンパク質が遊離され,タンパク質合成が完了する.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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…ただし,胃(イ),絵(エ),菊(キク)のように訓のない字,箱,皿,甥,姪のように音がほとんど用いられない字もあり,すべての字に音と訓の両方がそろっているわけではない。 訓は,漢字の表す語の意味を日本語に訳した一種の翻訳であるが,訳語が漢字1字と密接に対応している点が特色である。このような訓が,音とペアになって多くの漢字に定着しているのは,日本語独特の現象である。…
…このほか,他の著作物に新たな価値を付加するかたちで創作される派生的な著作物,すなわち,二次的著作物もある(2条1項11号)。そのような創作行為として,翻訳がある。小説や論文など,原著作物の内容や雰囲気を保ちつつ,適切な訳語を選び,みずからの文体を構築していくことは翻訳者の創作的な精神作業である。…
…著作物を翻訳する権利。原著作物が存在して初めて発生し,それ自体別の保護を受ける二次著作権の一つ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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