日本歴史地名大系 「当島宰判勘場跡」の解説 当島宰判勘場跡とうじまさいばんかんばあと 山口県:萩市萩城下川島庄当島宰判勘場跡[現在地名]萩市大字江向橋本(はしもと)川に架かる橋本橋の北西にあった萩藩当島宰判の代官所。「注進案」所収の長門阿武郡当嶋治所上梁文によれば、長福(ちようふく)邑(河添の古名、かつて勘場があって現在勘場町の名が残る)・浜崎(はまさき)・河添(こうぞえ)・御船倉・侍臣田氏の旧宅などを転々したのち寛政四年(一七九二)現在地に移ったとある。当島代官の管轄区域は川島(かわしま)庄・椿東分(つばきひがしぶん)・椿西分(つばきにしぶん)・山田(やまだ)村・三見(さんみ)村・大井(おおい)村(現萩市)と現阿武(あぶ)郡の川上(かわかみ)村、明木(あきらぎ)村・佐々並(ささなみ)村(現旭村)、福井上(ふくいかみ)村・福井下(ふくいしも)村・紫福(しぶき)村・黒川(くろがわ)村(現福栄村)であった。ただし享保四年(一七一九)二月以後は浜崎代官を兼ね、万延元年(一八六〇)七月以後は浜崎当島代官と称した(萩市誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by