川島庄(読み)かわしましよう

日本歴史地名大系 「川島庄」の解説

川島庄
かわしましよう

[現在地名]萩市大字川島・大字土原ひじわら・大字河添こうぞえ・大字江向えむかいの各全域、および大字平安古ひやこ町・大字椿東ちんとう・大字椿つばきの各一部

河島村ともよばれる。阿武あぶ川下流の松本まつもと川と橋本はしもと川がつくる三角州(川内という)のうち新堀しんぼり川以南の地域で、一部三角州外の地も含む。当島宰判に属した。

地名の由来は松本・橋本両川の内で、島のようだからという。古くは牛牧うしまき庄の地であったともされる。建武三年(一三三六)四月一六日付の長門守護厚東武実遵行状(長門二宮忌宮神社文書)に「神功皇后社(忌宮神社)大宮司国為申、長門国河島庄紫福郷事、今日御教書遣之、早任被仰下旨守御寄進状可被沙汰社家付之状如件」とみえる。文和元年(一三五二)八月一三日付の大井おおい八幡宮の宮座文書「御祭礼郷々社頭座敷本帳之事」に、右座の一〇番として「川嶋庄」と記される。また文明一〇年(一四七八)一一月二五日の文書には大内政弘が益田貞兼に「阿武郡川島本方参百五拾石地」などを与えたとある(益田家什書)

中世、松本川は現在より東側の、椿東の平地部を流れていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報