後屋敷郷(読み)ごやしきごう

日本歴史地名大系 「後屋敷郷」の解説

後屋敷郷
ごやしきごう

元亀元年(一五七〇)七月六日の武田信玄判物(市川文書)に「後屋敷之郷」とみえ、市川宮内助が高島たかしま(現長野県諏訪市)在城にあたって、当郷からの一五二貫文など計二八五貫文を与えられている。同四年一〇月二八日、武田氏は当郷およびさかい郷の農民が田地役の普請銭ならびに年貢の籾などを府内へ運送することに難儀をしているが、田地相当の役は厳しく申付けるよう市川(市河)宮内助に命じている(「武田家印判状」同文書)。武田家滅亡後の天正一〇年(一五八二)一〇月八日、市川宮内助は当郷三〇〇貫文・田夫二人(夫銭とともに)などを本給として安堵され(「徳川家印判状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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