日本歴史地名大系 「得恒郷」の解説 得恒郷とくつねごう 東京都:日野市得恒郷浅(あさ)川下流域の現日野市高幡(たかはた)を含む一帯に比定される中世の郷。郷内に高幡不動金剛(こんごう)寺が所在し(応永二二年二月日「金剛寺不動堂勧進帳」金剛寺蔵)、高幡郷と同一域であったとも推定されている。「徳常」とも記す。正和元年(一三一二)八月一八日の高麗忠綱譲状(第二回西武古書大即売展目録)に武蔵国「たさいのこほりとくつねの郷」とみえ、高麗忠綱の知行分三分二ほかを嫡子の孫若(助綱)に譲与した。同年一二月二八日、執権北条熙時から外題安堵の下知状を得ている(彦根城博物館保管彦根藩井伊家史料)。忠綱・助綱は高幡高麗氏で、助綱と妻の大中臣氏女は康永元年(一三四二)に高幡不動堂再建を助成している(「不動明王坐像光背銘」金剛寺蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by