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一宮
いちのみや
山梨県中部,笛吹市北東部の旧町域。甲府盆地東部,金川扇状地の東部を占める。 1954年一宮村,浅間村,相興村が合体し町制。 2004年石和町,御坂町,八代町,境川村,春日居町と合体して笛吹市となった。地名は甲斐一宮の浅間神社に由来するといわれる。養蚕が主産業であったが,昭和初期からモモ栽培が始まり,第2次世界大戦後には日本有数の産地となった。モモの花が満開になる4月初旬に桃祭が行なわれる。ブドウ栽培も盛ん。早くから開けた地域で,国分には国分寺跡,東原には国分尼寺跡があり,それぞれ国の史跡に指定。浅間神社摂社山宮神社本殿と,慈眼寺の本堂,鐘楼門,庫裏は国の重要文化財に指定されている。
一宮
いちのみや
兵庫県南部,淡路市南西部の旧町域。宍粟郡一宮町 (現宍粟市) と区別して淡路一宮町と呼ばれた。淡路島の西浦,播磨灘に臨み,津名丘陵の西斜面を占める。 1955年郡家町,江井町の2町と尾崎村,多賀村の2村が合体して成立。 1956年山田村を編入。 2005年津名町,淡路町,北淡町,東浦町の4町と合体して淡路市となった。中心集落の郡家は古くからの行政中心地で,海水浴場と釣りで知られ,その南の江井は線香の生産で有名。北部の尾崎,南部の山田は鳴門みかんの産地。中部の多賀にはイザナギノミコトをまつる淡路一宮いざなぎ神社 (現在,伊弉諾神宮) があり,町名もこれにちなんだ。
一宮
いちのみや
兵庫県中西部,宍粟市東部の旧町域。揖保川上流域にあり,淡路島の一宮町と区別して播磨一宮町と呼ばれた。 1956年神戸村,染河内村,下三方村の3村が合体して町制。同 1956年三方村,繁盛村の2村と合体。 2005年山崎町,波賀町,千種町の3町と合体し宍粟市となった。中国山地に含まれ,約 70%が山林で美林が多く,杉材を特産。因幡街道 (現国道 29号線) が通り,出雲文化の畿内進出の先駆となった地といわれる。南部にはオオクニヌシノミコトをまつる播磨一宮伊和神社があり,町名もこれにちなむ。南東部の雪彦山北西麓一帯は雪彦峰山県立自然公園に属する。
一宮
いちのみや
岡山市西部にある地区。旧町名。 1971年岡山市に編入。備前一宮である吉備津彦神社の門前町であることがこの名がの由来。旧山陽道に沿い,辛川市場 (からかわいちば) など中世の市場町の地名も残っている。北部の丘陵地帯はブドウの栽培が盛んで,マスカット・オブ・アレキサンドリアの特産地。岡山市街地に近く,住宅地化が急速に進んでいる。
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ひと‐みや【一宮】
〘名〙
① 一つの宮。また、同じ宮。
※
俳諧・たれが家(1690)三「万葉集に恋の人々〈白燕〉 一宮
(ひトみや)に十二の臣下祝ひとめ〈氷花〉」
② 宮全体。宮じゅう。
※源氏(1001‐14頃)
須磨「あはれなる物語をしつつひと宮のうち、忍びて泣きあへり」
いちのみや【一宮】
愛知県北西部の地名。真清田
(ますみだ)神社の門前町。江戸時代は
綿花の市場町として発展。
毛織物の生産と
卸売りで知られる。大正一〇年(
一九二一)
市制。
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一宮
いちのみや
平安初期から鎌倉初期までの間に全国的に成立した社格の一種。一国の第一社として尊崇された神社
起源は明らかではないが,国司が任国に着任すると最初に拝した大社とか,神位・信仰・勢力の最もあったものをいうなどの諸説がある。
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いちのみや【一宮】
古代末期より中世初頭にかけてつけられたことに始まる社格の一種。《今昔物語集》に周防国の一宮玉祖大明神の名のみえるのが文献上の初見とされ,鳥取県の倭文(しどり)神社境内より出土の康和5年(1103)銘の経筒にも一宮の語がみられるが,およそそのころよりの呼称とみられる。それは,神祇官や国司が公式に定めつけたものではなく,民間でつけられたもので,それも諸国同時でなく,1165年(永万1)の〈神祇官諸社年貢注文〉よりも察せられるように,古代末期より中世初頭にかけ,逐次国ごとにつけられ,全国に及んだものとみられる。
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世界大百科事典内の一宮の言及
【神道】より
…式内社に対しては,神祇官から奉幣することが定められていたが,平安時代のはじめに,遠隔地の神社には国司が代わって奉幣を行うようになったので,国司奉幣の神社は,神祇官奉幣の神社を官幣社と呼ぶのに対して,国幣社というようになった。 国司は任国に着くと,まず国内の主要な神社に参詣し,その後政務を執るように定められているが,その参拝の順序が固定して一宮(いちのみや),二宮,三宮の呼称がおこり,それが国内の神社の序列をあらわすことになった。さらに平安時代の末になると,国内の数々の神社を一社に統合して奉幣を簡略にすることもはじまり,そうした神社を総社(そうじや)と呼んだ。…
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