日本歴史地名大系 「高幡郷」の解説
高幡郷
たかはたごう
「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)一一月七日条に源頼朝の上洛時の後陣随兵(三六番)としてみえる「高幡太郎」は当郷在住の御家人で、日奉姓高幡氏と思われる(「日奉氏小川系図写」塩田家旧蔵文書)。建武二年(一三三五)金剛寺不動堂が台風で損壊、修復事業に暦応二年(一三三九)大旦那の高麗助綱が助成し、康永元年(一三四二)六月に本堂(不動堂)一宇、本尊・二童子像の修復を完成させている(同年六月二八日「不動明王坐像光背銘」金剛寺蔵)。
高幡郷
たかはたごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報