朝日日本歴史人物事典 「御与津御寮人」の解説
御与津御寮人
生年:生年不詳
江戸前期の典侍。権大納言四辻公遠の娘。はじめ新上東門院に仕え綾小路と称し,のち後水尾天皇に仕え第1皇子(夭折),第1皇女(文智女王)を儲ける。しかし,徳川秀忠の娘和子(東福門院)入内(1620)をはかる江戸幕府の圧力により,天皇から遠ざけられ,やがて落飾して明鏡院と号した。墓は四辻家菩提寺の京都興聖寺および円照寺にある。<参考文献>熊倉功夫『後水尾院』
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報